「できる、できない」の問題は大して重要じゃない。
できないのなら仕方ないし、それを責めたところでどうしようもない。
できるようになるには時間がかかる。
「できる、できない」基準の問題の結果をどうこう言うのはあんまり良い手じゃないと思う。
一方で、「やる、やらない」の問題は厳しく扱わなきゃいけないと思う。
これに関しては、結果や能力は関係ない。
できようができなかろうが、やったか(もしくは、やろうとしたか)かどうかが大事。
「できる、できない」に比べてハードルはめちゃくちゃ低いと思う。
ハードルが低いからこそ、やらなかった時(または、やろうとしない時)は厳しく追求されなければいけない。
ただ、難しいのは、このcanとwillの間が曖昧な時があると言うこと。
「やってやる!」と思えること自体が「できる、できない」的な能力に起因していることもあるだろうし、「この結果は能力的な「できる、できない」の問題かな。」と分析するけど、実は無意識の領域で「やろうとしてない」ということもあると思う。
他人のcanとwillの境界を理解するなんてもってのほか、自分自身のことですら、このcanとwillを正しく識別できない。
自分可愛さに、頑張ってないこと(willの問題)を何かと理由をつけて能力や環境(canの問題)にすり替えてしまう。
誤魔化して、自分の認識を騙してしまう。
willの問題を突きつけられるのはシンドいことだから。
成長、ということを考えると、どうしてもcanの問題に取り組むことが一番に思い浮かぶ。(できないことをできるようにしようとする。)
でもそもそも、それはcanの問題なのか。まずwillの問題に対して取り組めているのか。そういったことを前段として考える必要があると思う。
考えた上でwillの問題を徹底的に潰してから、やっとcanの問題に移行できると思う。
willとは名詞で「意志」という意味。
自身の意志・意欲、全面に打ち出してこそ競技者競争者。
willにもっと向き合わなければいけない。
ヤマダ、自戒を込めて。