エミリーよ、いずこに | 山の声を聴け

エミリーよ、いずこに

 学生だったころ、雑誌の名も著者の名も忘れてしまったが、ストラディバリウスの最高傑作エミリーについて書かれた記事を興味深く読んだ覚えがある。
 ストラディバリはガルネリとともに、世界的にすぐれたヴァイオリン制作者である。チェロやビオラを含めて1000挺を超える弦楽器をつくったほどの多作(一人でつくったとは思えない)だが、なかでも、たっぷり時間をかけ精魂こめてつくりあげた傑作がエミリーという愛称で呼んだヴァイオリンである。エミリーは初恋の人の名である。
 現在エミリーの行方はわかっていない。ジプシーの奏者の手に渡ったり、パガニーニの超絶技巧に奏でられたり(サラサーテだったかもしれない)、その後いろいろな人に渡って、行方不明になる直前はベルリン・フィルのコンサート・マスターのもとにあった。
 第二次大戦のさなか、演奏会の夜のこと、楽屋にオーケストラの楽員たちが開演を待っていた。とつぜん空襲警報が鳴る。兵士が楽屋にやってきて、楽器はそのままにして避難するように誘導した。けっきょく空襲はなく、楽員は楽屋に戻るのであるが、そのときのどさくさの中でエミリーだけが消えていたのだ。
 著者は、エミリーは日本かアメリカにあるだろうと推測していた。その理由は覚えていない。アメリカにせよ日本にせよ、現存するならば、いずれ姿をあらわすだろう。どんな音色を奏でるんだろうね。
 だけど、湿度の高い日本のどこかで人知れず埋もれているとすれば、虫食っているんじゃないだろうかね。きちんと保管されていればいいが。
 ちなみに、大橋巨泉は早稲田大学の学生のころから物知りで、この逸話をよく知っていたという。
 現存するストラディバリウスはみな億単位だ。エミリーが見つかれば、天文学的な値がつけられるにちがいない。