「さ~けは、の~むなよ……」
30年以上前に読んだ雑誌に、『歴史と人物』だったかどうかはっきりしないのだが、現在歌われている黒田節の歌詞に一カ所だけ間違いがあることを指摘する記事が掲載されていた。著者の名前は忘れてしまったけれど、たしか女性で、このまま黒田節が間違って歌われつづけることを懸念しての投稿だったと思う。記事の中身は具体的にはまったく覚えていないが、覚えているのは、歌詞の間違いの部分とその理由だ。
「酒は飲め飲め 飲むならば……」は誰でも知っている黒田節の歌いはじめである。この「飲め飲め」が間違いだという。広辞苑にも「酒は飲め飲め飲むならば…」が黒田節の元歌とある。だがそれは間違いで、正しくは「飲むなよ」だというのである。
歌詞のつづきを見よう。
「酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を
飲みとるほどに 飲むならば これぞまことの黒田武士」
これが第一連。「この槍」をめぐるエピソードがよく知られている。
筑前福岡の黒田長政に仕える母里太兵衛(もりたへえ)という武将があった。剛勇で知られ、文禄・慶長の役や関ヶ原の戦いではたぐいまれな戦功をあげた。大酒豪としてもその名をはせていた。
あるとき長政は、安芸広島の福島正則のもとに使者として太兵衛を遣わした。その際、太兵衛に禁酒を厳命する。
太兵衛が正則の屋敷に到着したとき、酒宴が催されていた。正則は、酒豪をもって知られる太兵衛に酒を勧める。正則自身も酒豪なのである。太兵衛は主君の厳命を守ってかたくなに拒否した。執拗に勧めても拒みつづける太兵衛に、正則は「この大盃の酒を飲み干せば、どんな褒美でもやる」とさそう。また「口を割ってでも飲ませてやる」とおどしたりもする。それでも峻拒する太兵衛に業を煮やし、「黒田は腰抜け武士ばかりで、弱虫藩だ」と侮蔑的な言葉をはいた。その言葉に憤激した太兵衛は、あえて主君の命にそむくのである。大盃になみなみとそそがれた酒を一気に飲み干すと、正則に名槍「日本号」を要求する。それは秀吉から拝領された槍であったが、正則はしぶしぶ太兵衛に褒美として与えた。
この逸話から歌詞を考えると、やはり「飲め飲め」ではなく、主君長政の厳命である「飲むなよ」のほうが正しいように思う。正則に「飲め飲め」と勧められ、太兵衛はそれに断り切れなくて大盃を干したわけではない。「飲むな」という主君の命を守りつづけ、侮辱の言葉に堪えられずやむなく酒を飲んだ。ただ飲んだだけではなく、名槍を飲みとるほどに飲んだわけだ。それが黒田武士の男気、まことの黒田武士だと、うたっているのである。
はっきり覚えていないのだが、その女性は父親か祖父に、正しくは「飲むなよ」だということを教えられていたのではないかと思う。彼女の危惧どおり、いまは「飲め飲め」が定着し、「酒は飲むなよ……」と歌う人はいない。
「酒は飲め飲め 飲むならば……」は誰でも知っている黒田節の歌いはじめである。この「飲め飲め」が間違いだという。広辞苑にも「酒は飲め飲め飲むならば…」が黒田節の元歌とある。だがそれは間違いで、正しくは「飲むなよ」だというのである。
歌詞のつづきを見よう。
「酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を
飲みとるほどに 飲むならば これぞまことの黒田武士」
これが第一連。「この槍」をめぐるエピソードがよく知られている。
筑前福岡の黒田長政に仕える母里太兵衛(もりたへえ)という武将があった。剛勇で知られ、文禄・慶長の役や関ヶ原の戦いではたぐいまれな戦功をあげた。大酒豪としてもその名をはせていた。
あるとき長政は、安芸広島の福島正則のもとに使者として太兵衛を遣わした。その際、太兵衛に禁酒を厳命する。
太兵衛が正則の屋敷に到着したとき、酒宴が催されていた。正則は、酒豪をもって知られる太兵衛に酒を勧める。正則自身も酒豪なのである。太兵衛は主君の厳命を守ってかたくなに拒否した。執拗に勧めても拒みつづける太兵衛に、正則は「この大盃の酒を飲み干せば、どんな褒美でもやる」とさそう。また「口を割ってでも飲ませてやる」とおどしたりもする。それでも峻拒する太兵衛に業を煮やし、「黒田は腰抜け武士ばかりで、弱虫藩だ」と侮蔑的な言葉をはいた。その言葉に憤激した太兵衛は、あえて主君の命にそむくのである。大盃になみなみとそそがれた酒を一気に飲み干すと、正則に名槍「日本号」を要求する。それは秀吉から拝領された槍であったが、正則はしぶしぶ太兵衛に褒美として与えた。
この逸話から歌詞を考えると、やはり「飲め飲め」ではなく、主君長政の厳命である「飲むなよ」のほうが正しいように思う。正則に「飲め飲め」と勧められ、太兵衛はそれに断り切れなくて大盃を干したわけではない。「飲むな」という主君の命を守りつづけ、侮辱の言葉に堪えられずやむなく酒を飲んだ。ただ飲んだだけではなく、名槍を飲みとるほどに飲んだわけだ。それが黒田武士の男気、まことの黒田武士だと、うたっているのである。
はっきり覚えていないのだが、その女性は父親か祖父に、正しくは「飲むなよ」だということを教えられていたのではないかと思う。彼女の危惧どおり、いまは「飲め飲め」が定着し、「酒は飲むなよ……」と歌う人はいない。