官僚のつづき
明治二二年、明治憲法発布翌日の二月一二日、黒田清隆首相は政府の独自性を強調する政治理念「超然主義」を唱えた。要するに、議会や政党なんてものは無視して、薩長を基軸とする藩閥政府が政治をつかさどることを強調した。その中堅をになったのが、このころ擡頭してきた専門官僚である。
彼らは、東大を卒業してヨーロッパに留学し、猛勉強をして専門知識を身につけ、帰国したエリートたちである。選挙で当選してきた在野の知識人ごときに国政がになえるはずがなかろうという意識が強い。苦労を重ねてヨーロッパの最新の知識をえてきた自負が官僚たちにはあった。彼らは議会や政党を軽視し、大衆を蔑視する。エリート意識から権威主義が生まれ、独善性を強めていくわけである。
というようなことが近代史の本に書かれているが、いままで官僚批判というものがあったが、官僚機構はびくともしない。民主党が政権をとったとして、この強固が官僚機構にどういうふうに手を入れていくんだろうかね。
ところで、この藩閥政治と真っ向から闘い、自由民権をかかげた自由党幹部に竹内綱(たけのうちつな)がいる。吉田茂の父、すなわち麻生太郎の曾祖父である。母方といい、父方といい、血筋はいいようだけど……
以前から疑問に思っていて、いまだにわからないんだが、敗戦の八月一五日に鈴木貫太郎内閣が総辞職し、一七日に東久邇稔彦内閣が成立する。東久邇首相は、国民全体が徹底的に反省して、懺悔しなければならないという「一億総懺悔」を説くのだが、そのころ東久邇は直接国民の声を聞こうとして、国民に「手紙をください」と呼びかけた。それで手紙がどっとくる。いちばん多いのは「食糧問題改善」であった。ついで「官僚打倒、官僚機構の徹底的改正、政界、財界の総退陣、統制経済の撤廃」であったという。
食糧問題が一番というのはよくわかるが、二番目に官僚打倒がくるのは具体的にどういうことなのか。出典は東久邇が書いたものだから、彼の意向も含まれているという可能性もあるが……。
はじめに触れた第二代首相黒田清隆はもと薩摩藩士で、酒癖が悪く、北海道開拓次官だったころ、酒を飲んだ上で、女房を一刀のもとに切り捨てているらしい。当時新聞に書き立てられたが、時の権力者大久保利通が弁護して、うやむやにしている。陰謀説もあるが、事実だという歴史家もいる。
彼らは、東大を卒業してヨーロッパに留学し、猛勉強をして専門知識を身につけ、帰国したエリートたちである。選挙で当選してきた在野の知識人ごときに国政がになえるはずがなかろうという意識が強い。苦労を重ねてヨーロッパの最新の知識をえてきた自負が官僚たちにはあった。彼らは議会や政党を軽視し、大衆を蔑視する。エリート意識から権威主義が生まれ、独善性を強めていくわけである。
というようなことが近代史の本に書かれているが、いままで官僚批判というものがあったが、官僚機構はびくともしない。民主党が政権をとったとして、この強固が官僚機構にどういうふうに手を入れていくんだろうかね。
ところで、この藩閥政治と真っ向から闘い、自由民権をかかげた自由党幹部に竹内綱(たけのうちつな)がいる。吉田茂の父、すなわち麻生太郎の曾祖父である。母方といい、父方といい、血筋はいいようだけど……
以前から疑問に思っていて、いまだにわからないんだが、敗戦の八月一五日に鈴木貫太郎内閣が総辞職し、一七日に東久邇稔彦内閣が成立する。東久邇首相は、国民全体が徹底的に反省して、懺悔しなければならないという「一億総懺悔」を説くのだが、そのころ東久邇は直接国民の声を聞こうとして、国民に「手紙をください」と呼びかけた。それで手紙がどっとくる。いちばん多いのは「食糧問題改善」であった。ついで「官僚打倒、官僚機構の徹底的改正、政界、財界の総退陣、統制経済の撤廃」であったという。
食糧問題が一番というのはよくわかるが、二番目に官僚打倒がくるのは具体的にどういうことなのか。出典は東久邇が書いたものだから、彼の意向も含まれているという可能性もあるが……。
はじめに触れた第二代首相黒田清隆はもと薩摩藩士で、酒癖が悪く、北海道開拓次官だったころ、酒を飲んだ上で、女房を一刀のもとに切り捨てているらしい。当時新聞に書き立てられたが、時の権力者大久保利通が弁護して、うやむやにしている。陰謀説もあるが、事実だという歴史家もいる。