官僚 | 山の声を聴け

官僚

 ようやく、ネットにつながるようになった。というわけで、ブログも再開です。
 きょう麻生の所信表明演説があった。所信表明とは、総理大臣がどのような政治理念にもとづいて,どのような政策を実現していこうとしているのか、ということを国民に表明するものだと思っていたけれど、ありゃ、国民じゃなくて野党に向けて、こうなんだ、どうなんだと質したりしているわけだから、選挙用演説じゃねーかと思ったね。せいぜいあの程度のうつわの政治家ということか。加えてあの品性のなさだから、ますます嫌いになった。
 それにしても国交相の中山の発言にはあきれかえった。あの無神経さは官僚時代につちかわれたものなのかねえ。日本には、先住民としてのアイヌの人たちや、日本に生まれ育った在日朝鮮の人たちがいる。そんなことは中学生でも知っているだろう。おそらく中山の念頭には沖縄の人たちも念頭に入っていないだろうねえ。日教組をブチこわすのはいいが、その前に、おまえが勉強し直せといいたい。でも、もうあの役人独特の独善性はぬぐいがたいだろう。閣僚を選ぶにも、自民党にはこんな低レベルの政治家しかいないんだ。
 たしかに日教組は、子どもの教育よりイデオロギーに奉仕してきたという側面は強く批判されてしかるべきだが、権力側にいて、憲法を尊重しない官僚や政治家のほうこそ、この国を危うくするんじゃないかと思う。
 保険料着服、帳簿改竄、無駄やりたい放題の社保庁にせよ、食糧ではない事故米を食品会社におろし、事前通告の上の検査をしていたというお粗末さが表面化してもなお、当方に責任はないと臆面もなくいう農水省にせよ、官僚というのは、いったいどういう生き物なんだろうか。
 辻まことの「官僚の唄」――「組織の中でワタシは一本のネジ。世の中のガタガタはネジ山が甘いからで、ワタシの知ったことじゃない」。官僚が責任をとるどころか、感じることもない。ネジをしめる政治家も似たり寄ったりじゃ、ますます世の中はガタガタになるばかりだ。
 いま問題になっている官僚機構というのは、小沢一郎がよくいうように明治にさかのぼる。まったく強固なものだ。その根は、第二代首相、黒田清隆の打ち出したあの「超然主義」にある。