生きるのって | ガラス玉

ガラス玉

迷い道、遠回り

わたしって、何かひとつでも自分で作り出したことがあるんだろうか、生み出したことがあるんだろうかと考えて、ものすごく惨めな気持ちになった。何かを生み出す人間が一等崇高というわけではないけれど、じゃあ、じゃあわたしは、なんで生きているんだろうと思って、惨めになった。

何かを生み出したことはあるけれど、全部ガラクタというよりゴミみたいに扱ってしまって、もう跡形もないなと思う。わたしの、罪です。

 

今までずっと、28歳になるんだけれど、今までずっと、わたしが辞めなかったことと言えば、本当に、本当に、考えることだけだなと思う。情けが無い。他には何にも続けることができなかったな。そしてその考えることというのが今のわたしを形作っているんだと思う。だからこそ、他にもたくさん続け続けていたら、何かが少しでも豊かになったんじゃないかと思う。悔いるには早いから、頑張ってくれ、わたしよ。

 

BUMPがリバイバルツアーをやっていて、BUMPのライブとか全然気にしてなかったんだけれど、名古屋公演に行ってみて、めちゃくちゃ感動して、大阪公演、東京公演と三回も行った。こんなのは初めて。音楽に救われたと思ったことはないけれど、ここまで生きてきた中にずっとBUMPが支えてくれていた部分が確かにあったんだと気づくことができた。

大阪でのライブは2時間ずっと涙が流れ続けていたんだけれど、最後のMCで藤くんが「元気じゃなくっていい、ボロボロのままでいいからまた会いに来てよ。俺らがそのボロボロの君のことを見て、そんなボロボロの君に俺らが元気づけてもらってる姿を見に来てよ」みたいなことを言っていて、その時の自分の心の真ん中の一番深いところまで刺さってしゃくりあげながら更に泣いてしまった。これを書いている今も涙が出てくる。わたしはもしかしたら、ボロボロなのかもしれない。それに気づかないで日々をやっているけれど、本当に、本当に。

周りの人もたくさん泣いていた。みんなそれぞれの地獄があって、同じような光を見ている。

生きるのは、本当に、

 

わたしはアセクシャルだと思うんだ、わかんないけど、暫定で。

人のことは好きだし、好きな人だってたくさんいるけれど、恋愛感情が本当になくて、今は悲しい。恋バナのタイミングでこれからもずっと変な空気にさせちゃうのかな。誰と話しても、結婚とか彼氏とか良い人とか、もう、本当に、本当にうんざりです。わたしはわたしなのに、わたしはみんなのことが大好きで、特定の誰かに恋心を抱けないだけなのに、それが全部おかしいみたい。悲しい、恋愛的に愛せないのも悲しい。

 

暗いね。大丈夫。恐ろしいことに全然余裕なの、16歳から25歳くらいまでが本当にしんどかったな。慣れただけかもしれないけれど。ちゃんと毎日はつらいし、ちゃんと笑えているし、ちゃんと外出もできるし、ご飯もたくさん食べている。

「生きるのは最高だ」って歌詞のところをBUMPのライブで声に出したとき、声がガラガラのカラカラで自分でもびっくりした。いつか綺麗な声で言えるのかな。