さんご(陽護)
孫の運動会に行けました
新型コロナの影響で
初めて観たのは3年生の時でした
当時の3年生の孫の
頑張りには当然感動しましたが
それ以外にも
各学年の頑張りに大感動してました
そんな中でも
6年生の演技には
本当に圧倒されてしまいました
『3年後
自分は生きているのだろうか…
でも何としてもこの6年生の演技を
孫がする姿が観たい』と
本当に強く思い
ずっと”頑張りの元”になっていました
それがついに観れたんです
自分は涙が流れてました
『頑張ったなぁ孫たち』
『頑張ったなぁ自分』
何かもう
思い残す事は
全て無くなったと思いました
不謹慎な想いが溢れてしまいます
10月ですね
そういえば
闘病には関係ないですけど
今年は泳ぎに行けませんでした
花火には行けましたけど
全国的にみても珍しい
水色の花火に
毎年程には感動しなかった
必ずしていた日焼けにも
湖にへ潜りにも行けなかった
まぁ毎年
何かが出来ないんやけども…
一番にしたいのに
出来ない事が多いのが
自分の誕生日に
理想とする過ごし方が出来ない事
でも日焼けと潜りには
行っていたのになぁ
まぁまともに泳げないのに
潜るのが好きやから
足が届かない位の所で
潜って方向が分からなくて
溺れかけてしまって
水を飲んでしまう事は
しょちゅうあるので
危なくて1人では行けないんやけど
日に焼かれ過ぎで
火傷状態になってしまうし
”見守り”が必要なのかな…
困った煩悩爺です
今は孫達の運動会を観る事が
全てのような状態です
とても楽しみにしてますが
ある意味
ありとあらゆる
“頑張り”
が途絶えないかが心配な状態です
孫から運動会のお知らせが来た
とても嬉しい
最近ガリガリになって来る
自分の身体がとても悲しくて
体力が落ちていくのも
自覚が出て来た
でもお爺ちゃんに
成れていってる事は
とても有難い事ですね
話変わりますが
一緒に夜勤した職員の方から
「私の母は癌で数年で亡くなった」
「陽護さんは今も働いている」
「何が違うのだろうと考えてしまう」
と言われました
『それは自分にも分からないです』
『自分がしたのは
・医師が「絶対にこれしかない」と
言われた治療(手術)を拒否した事
・信じたサプリを飲み続けている事
・食事を根本から変えた事
・家に残してきた
老衰している犬を最後まで
看取る為に体力を
落とさない努力をした事
それぐらいしか今は思い付かないです』
『当然に他にもあるんやろうけど
何故に今も働いているかは
本当に分からない事だらけですね』
と伝えました
職場の患者さんにも
“悪性リンパ腫ステージⅣ
全身転移”から
標準治療のみで
PETCTや腫瘍マーカーからは
悪性リンパ腫の転移などは全て無いと
判断する
と主治医に言われた方が居られました
色んな話を知り
色んな経験をして
とてもとてもとてもとても感謝を
しなければならないのに
自分は孤高との
向き合い方が分からない
煩悩爺いのままで
とても情けないですね
人肌恋しい時期に
善き御縁に恵まれた方々
その御縁を大切に
御自身との向き合いも大切に
お過ごし下さい
皆様の生活が善きものと成ります事を
願っております
敬具
手術拒否をして
化学放射線治療を受けて
丸4年が経ちました
手術を拒否したから
期待(あくまで医療側の)出来る効果は
得られないかもしれない治療から
4年の月日を得られたことになりました
効果は得られないかもと言われながら
それでもどこかで
効果は得たいと信じる気持ちは
有りました
でもその気持ちを
何処まで大きくしてイイのかは
分からない面もありました
効果を信じるそれらの気持ちの
大切さはわかってます
そして大切に
しながら治療を受けて
今回で治療後
丸4年経過を迎えられました
心が不安定な自分は
放射線医師に少し変な質問をしました
『嬉しいですか?』
変な質問をしているなぁ
とは感じてましたが
放射線科医師は即答でした
とても嬉しいと言われてました
安心の積み重ねが
また一つ出来たねと
言われました
自分はとてもとても期待したのは
免疫チェックポイント阻害剤だった
事を思い出しました
ので完全に今の自分の状態は
予想外の展開でした
わずか2回で
急性肝炎と急性筋炎となり
肺癌よりも治療の副作用で死ぬと
呼吸器科カンファレンスで
中止と決定して覆らなかった治療
免疫チェックポイント阻害剤
わずかに2回だったが
でも化学放射線治療終了の
標準より早目に始めて欲しいと
懇願した自分の希望は叶えて下さった
地固め療法の
免疫チェックポイント阻害剤
こちらの治療が中止になった時には
4年経過出来るとは思ってなかったと
言ってイイのだろうと思われます
自分は
自分のブログが
誰かの何かの切っ掛けになって欲しい
と願ってます
でも自分のがん種の標準治療としての
片肺全摘をされた方からすれば
どういう気持ちになるのかは複雑です
ただ一つハッキリしているのは
自分は自分の直感に従いました
良く言えば俯瞰しました
悪く言えば片肺無くしての
酸素を吸ってる自分は
とても弱くて
不適切な表現ながら
生きているとは
何かを見付けられなくなっている
痛みに苦しみに苦しんで居る
後悔ばかりしている
自分の姿が想像して見えました
とてもとてもとてもとても
苦しんでいたと思います
どうか皆様
御自身の価値観に沿った
後悔を最小限に出来る生き方が
出来ます事を
心弱き自分ではありますが
切に切に
願い祈っております
どうか自分の言葉が誰かの不快を
呼び起こすのではなくて
どなた様かの少しでも苦痛の軽減の
欠片とでも成れます事を
お祈り申し上げます
夜勤しんどかった…
コール受信機の前で
他者から見たら
“見た目”は”うたた寝”やな……
実際は
”しんど過ぎて…”
極端な言い方
意識が消えそう…
大袈裟に言うのではなくて
“意識がなくなってる”
にかなり近い状態である
「通常業務をしないとクビ」
事務長や人事課長などの
使用する言葉はあきらかな
凶器であるとしか受け取れない
重い患者さんをトイレ介助する
当然男の自分が抱えて
他の職員が下衣を介助する
歯をくいしばり抱え上げる
重過ぎて呼吸が出来ない数秒…
“息を止める”
これをするとてきめんに
咳が出だす
転びそうな患者の元に
急いで走っても咳は出る
気持ちを保つのは
案外に難しくて
自分の場合は
もうかなり疲れ果てて
もろい状態となっているのを
分からない方々は
阿多当たり前の事ながら存在していて
職場が病院だからこその
“冷めた人種”は居てうんざりする
残念ながら自分が
そう思われる存在になってしまう
場面も起こるのが
この医療の世界の
恐い現実の一面でもある
はぁ
しんど過ぎて元々に
表現が下手やのに
さらに言葉も出ないぼどに
頭もボーとまでしてるいのに
「怒っている」と捉える無知な方々
何を時間掛けて勉学してるのやら…
その様な“場面”を迎えたのは
”真実”である
でも“事実”は違うのに
どうすることもできない
所詮は【運】なのだと悲しくなる
※この投稿は投稿日の
半年近く前に書いた
昔で云う“タイマー投稿”です
この投稿がある頃に自分が
このアプリを見ているのか…
自分のブログを続けているのか
分からないです
なのですが
ブログを始めた当初の方々との
感謝の気持ちは残しておきたくて
書きました
とても感謝しております方のお一人
【ごーちゃん】様
本当に有り難う御座いました
ブログを始めた当時
毎日が不安で仕方がなかった自分への
沢山にお相手をして下されて
とても嬉しかったです
自分の肺の中の癌は
結局は
二つはある事しかわかってません
多数肺にがんのある
【ごうちゃん】さまは
さぞにお辛くて
不安で大変だったと思います
突然の旅立ちの報告を知った時は
とても衝撃でした…
投稿して下さった
奥様にとても感謝しております
【ゆかっぱ】様とは
あちらの世界で会われましたか
【ごうちゃん】様が旅立たれて
自分が投稿した時に【ゆかっぱ】様が
コメントを下さってました
御二人のコメントのやり取りも
観させて頂いてました
懐かしく思い出したりもしております
【ごうちゃん様の奥様】
今更ですが【男前】の御主人ですね
御写真がとても素敵です
自分は
【死後の世界】や【神様の事】を
御主人様と色々と話しました
『神様はおられたのかな…』
『死後の世界はあったのかな…』
優しい優しい【ごうちゃん】さま
書きたい事の文章化を
出来ずにいる自分が
とても歯がゆく悲しいです
本当に色々と有り難う御座いました
敬具
夜勤終わりました…
疲れました…
この前の夜勤は
患者さんの“異変”がありました
自分は夜勤の中で
数名の方の“異変”に出会った過去があり
”後悔する出来事”もあります
自分達の”役割の一つ”に
『患者さんの
“いつも”と違う事に気付く』
と云う“現象”を意識してます
“食事”や“歯磨き”は
とても分かり易い場面です
食後のテーブル拭きも
“普段との違い”の気付きの場面です
食べる量を見るだけではありません
食べこぼしも見てます
どこまで”いつもとの違い”に
気付く事が出来るのかが
命を守る一つだと感じます
後は…
どこまで
医療職にその事を
伝えて答えてくれるのかは
その医療職の価値観に
とても左右されてしまうのが
今の医療の限界ですね
何とか救急車を要請するまでいけて
とてもほっとしましたが
何で看護助手が
こんなに医療職に訴えなアカンのかと
とてもとても疲れ果てました
ちょっと職場での愚痴です
申し訳ない内容の投稿です
スミマセンです
高コレストロールの数値で
個人クリニックの医師からは
「砂糖が駄目ですよ!」
「多くの人が”肉”と思ってはるけど
”砂糖”を今の食べてはる量の
半分にはせめてしなあかへん」
と言われた
何と云うか
不思議な感覚で聞いていた
がん治療で
個人の価値により
食事の見直しを
されている方は多く居られる
自分は羅漢前の食生活は
主食は肉
おやつは砂糖
みたいな食生活だった
羅漢後は
果物を中心にしていた
生活だったが
何せ果物は高くて…
今は続けられなくなってます
今回は色んなストレスもあり
和菓子や洋菓子位は
食べてもイイかなぁ……
と思っていたら
この言葉
「砂糖は駄目だよ!」
このタイミングには
きっと意味があるはずだと思う
記憶の記録として
残しておきます
出勤前に転けました
『あれ?』と思った時は
もうかなり傾いていて
倒れるしかない状態やった
多分”メニエール”と
“気象病”の関係かな…
かなり酷い目に転けてしかも
転けた先で右胸を突起物で強打する
と云うドラマみたいな形になった
こういう不運の時はいつも思う
『こんな程度で愚痴ってても
他の頑張ってはる方々に対して
申し訳がない』
自分はただ転けただけや!
その想いで
出勤して業務をこなして
朝食業務は何とか終わらせた
次は入浴介助の準備をする
しかし思いの外
ドンドンと痛みが酷くて苦しくなる
『これでは現場では
役に立てないなぁ』と
諦めて早退する事にした
もし強打したところがあと5センチ
左だったなら
放射線療法の後の場所なので
さらにリスクは高くなって
もしかしたら…
もしかしていたかもしれないなぁ…
ちょっとまた
ブログの続け方が分からなく
なってますけども
”仕事を続けている”と云う
事実だけは伝えたくて書いてます
異動して数ヶ月経ちました
サバサバとものを言う
看護師(同じ職場)に言われました
自分には色んな理由?
言い訳?
があるんですが……
単純に凹んでます
辛い闘病をされている方からすれば
何て事はない!
文面化としては
こうとしか思えません
普通に動けるのって
当たり前や無いのになぁ…

