閘門 | おひさまひろば

閘門

これは こうもん と読みます。

パナマ運河、というとピンとくる人もいるかもしれませんが、

高さの異なる水面を調整する機能を持った水門のことで、

二つの水門を閉じて、水面を上げ下げすることで

船を上げたり降ろしたりする機能を持ったものです。

 

(港側の水門が閉じるところ。水平に痕がついているのは

 このレベルまで水が入ってくる、ということ。およそ2.5mの水位差があります)

 

飛騨高山から離れて、黒部ダムを見に行く途中で

富山市に立ち寄りました。

富山市には以前来たことがあり、

立山が本当に近くに見えて素晴らしい景観の街でした。

そのときはじっくり街を見れなかったので

今回は散策のため、まずは路面電車の一日券を購入し

市内をまわることにしました。

 

富山の路面電車はとても便利なもので

富山駅から様々な方向に走っています。

その中で一番気になった、富山港に向かう路線に乗りました。

富山市街と富山港は数キロ離れており、ここはかつて国鉄の路線でした。

この路線には興味深い経緯があることはあとで知りましたが、

このときは知らずに、港、そして運河を目指しました。

 

終着の岩瀬浜駅に着くと、次の目的は運河を、船に乗って富山市街に戻ること、でした。

岩瀬から富山をつなぐ富岩運河は港と市街地を結び産業の発展に欠かせなかった、とのことでした。

この運河の最大の特徴は「中島閘門」という水門です。

実際に船があがるのを経験できる、とあって楽しみでした。

 

富山港から運河に入ってしばらくすると、水門が見えてきました。

一つ目の水門を通過しそこで船はいったん止まると、水門が閉じます。

(最初の写真)

 

次に、閉じられた空間に水が注ぎこまれ(ポンプは使用されていない)、

みるみる水位が上がり船もじわじわと上昇します。

やがて運河脇にある公園も見えるようになって注水は終了し

今度は前方の扉が開いて船は進んでいきます。

 

(閘門の遠景。無事船は高低差を乗り切って目的地へ向かいます)

 

どうしてこんなものが必要だったのか聞いてみたところ

富山港と市街地とでは水位差が数メートルあり

木材などの資材を運ぶにはこの高低差を克服する必要があった、

という説明でした。

富山の川は確かにいずれも急流で、山側から降ろすにはよくても

海から物資を運ぶには大変な労力がかかる、と言うのもうなずけます。

閘門を利用することによって物資の運搬は確かに楽になったと想像できました。

 

運河のゴールは環水公園というところです。

もともと貯木場であったところを公園にしたということですが、

すばらしい跡地利用と思いました。

 

(20分ごとに滝のように水が落ちてきます。暑い日に涼を呼ぶ風景です)

 

運河も埋め立てられるだけの運命だったものが保存され、

閘門は昭和期の土木建築物としては初めての重要文化財の指定を受けました。

上手に歴史的なものを利用していると感じました。

 

**かつて現在の天皇陛下が皇太子時代にこの運河を訪れて

 閘門を経験したいとおっしゃられたそうですが、

 警備の都合上、残念ながらかなわなかったそうです。。(諸説あり)