星のかけらを探しに行こう ~Andiamo a cercare i frammenti della stella~ -32ページ目

星のかけらを探しに行こう ~Andiamo a cercare i frammenti della stella~

仕事も、夢も、恋愛も、結局いつも七転八倒。

それでも僕は前に進みたい。
他の誰かになんて、なれないから。

進むも諦めるも覚悟がいるなら僕は進む。
近くて遠い、あのシリウスを探しに…。

次はいつ?とせっつかれまくりん。

な第2弾です。

 

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自分で自分を磨いていれば、

その方向性が間違ったものでなければ、
人とのつながりなんて勝手に広がっていくものじゃないだろうか?

広がらないのだとしたら、

それはその人自身の自分磨きに問題があるか、

まだまだだってことだと思う。

偶発的なものや相手に頼る成長ではなく、
相手に何かを期待する以上に

自分自身でまずは自分を磨くことから始めようよって

結論付けたのが前回でしたね。

(前回説明だけで十分長い)

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んじゃ、

そもそも人脈って言葉はどこからどう来てるのさ?って思うわな。

で、いろいろ調べてみると

徳川家の剣術指南役として名をはせた柳生家の家訓には

以下のような言葉があるそうな。

「小才は縁に出会って縁に気づかず、
中才は縁に気づいて縁を活かさず、

大才は袖すりあった縁をも生かす」

十兵衛か?十兵衛なのか?

なんていう話は置いといて、

じつは人脈という言葉は明治や大正にはなかったようで、
人脈に近い言葉を探す中で、

この「縁」が最も意味合いが近いように思う。



正直、

今よりもネットワークが発達していない江戸時代の話なので、
今の現代で袖すりあった縁を考えると、

1日何百人とかかわる話になるので

大才については??がつくけれどね。



おなじようにして、探っていった結果、

人脈という言葉は戦後の高度経済成長期に生まれ、
1990年代後半になって飛躍的に使われるようになったらしい。

そして、バブル経済が崩壊して、

お金至上主義だけでは限界があることを知った結果、
人と人とのつながり = 人脈が再度クローズアップされてきた。

が、時代は高度情報化社会。
人間関係は

昔に比べてみて広く浅くの希薄化が叫ばれるようになる中で、
どうやったら人とうまくかかわることができるのだろう?

そんな悩みを抱えた人たちの為に数多くの本が出版され、

今日の人脈論を展開しているのだ。

でも、この人脈活用系の本には実は2種類しかない・・・。

 

(続く)

(続き)

 

だからこそ、ここでも個人差が生じる。
相手に対する予測が甘い人は人脈の選定も非常に甘く、
逆に予測が厳しい人はかなりのハードルの高さだ。

これが世の中の人脈という言葉の曖昧さを助長している。


人脈として勝手に期待したとしても相手も同じとは限らない。
むしろ迷惑なことも数数えきれないものなのだ。

勝手にハードルを下げた人脈欄に名前を連ねられても、

いい迷惑でしょ。

「あいつ、俺のために役立つはずだぜ」なんて話だもんね。


だから、前述の

「人脈によって、・・・・、自らを成長させていきたい」

という発言に違和感を感じたのだ。



単に多くの人と知り合い、それを人脈扱いし、

何かを期待しても結果としては何も生み出しはしない。

 

だって、相手あってこそだから。

相手が自分をどう見定めているか、あってこそだから。

 

そう気づけば、

まず、自分自身を高めようとすることの方が重要だ。

そうやっていけば、いろいろな機会に巡り合えるときは来る。

その機会に巡り合えれば、

必ず自らを成長させる人との出会いもある。
自らの成長なくして、勝手に広がる、有益な人脈なぞないのだ。


そうやって、僕自身、新卒の時からいろんな人にたたかれてきた。
それが今の自分につながってもいる。


人に何かを期待する前にやるべき事がある。
人に何かを期待する前に考えるべき事があるってね。

ま、それでも淡い期待は抱いてしまうお馬鹿ちゃんですが。

結論。


相手に何かを期待する人脈を頼りにするよりも、

まずは自分自身なのではないだろうか?

貴方を成長させる人脈を探し出す方法なんてない。

あくまでもそれは偶発的なものに過ぎない。

そんないつ起きるか、

わからないような偶然を頼りにする事ほど、

時間も労力も無駄遣いだと思う。

それよりは必然的に貴方自身の魅力によって、

人がひきつけられて行く事の方がどれだけ早いか。

人(相手)に何かを期待させるだけの何かが貴方にあれば、

人脈なんてものは簡単に広がっていく。

逆に自分自身でどれだけ満足していても、

進展がないのなら、まだまだだってことなのだから。


簡単に手に入るものにそれほどの価値はなく、

苦心して苦労して得たものこそ、
自らの成長のあかしであり、

人と人とのつながりの軌跡なのではないでしょうか??


追記)

ちなみに僕自身、人脈って言葉は大嫌いです。
理由は人脈とは少なくとも、

自分自身にとって有益になると勝手な期待感を込める

意味合いがあるから。

人を損得で考えるようなことはしたくないのでね。

 

それにね、損だと思っていた人が逆に得になり、

得だと思っていた人が・・・、という事もあるよ、この世の中。

(続き)

もともと、人脈とはどういう意味を持つのだろう?

そう考えていくと、
この段階で既に人脈という言葉は

かなりの曖昧さを持つことが実は分かってくる。

ここでは第一の曖昧さとしておこう。
 

まず、人脈というのは
あくまでも自分自身でそう感じる・そう思う人を指す。

いわば、自己申告的なものなのだ。
 

つまりは個人の解釈にゆだねられる点が大きい。

だから、言ってしまったもの勝ちなところもある。


たとえば、

僕が何かしらの会話の中で芸能人A君を知ってる!と

B君に言ったとしよう。
 

通常考えて、

その後、B君は本当に僕とA君が知り合いなのか調べない。

そう、まずそんな暇人はいない。

まぁ、可能性があるとしたら、

B君が実は芸能人になりたい希望を持っていて、
僕のコネをあてにした時くらいだろうか?

話を元に戻そう。

人脈とは自己申告。
 

だから、合コンしただけの人、

名刺交換しただけの人でさえも人脈に入る人もいれば、
大学時代を共に過ごした友人、

損得関係なく付き合う事の出来る親友などに限られている人もいる。

では聞こう。
ビジネスの世界における人脈とは何か?

答えはこうだろう。
 

将来の相手の行動が

自分にとって有益な結果をもたらせてくれる期待感のある人物、
或いは自分のためにひと肌脱いでくれる人物。

そして、

この期待感はあくまでも自分の中でのみの事だって事だ。
 

つまりは

「僕はあなたの事を僕の人脈だと思っていますから

裏切らないでね…」なんて約束をしていないのだ。

 

これは第二の曖昧さと言える。