星のかけらを探しに行こう ~Andiamo a cercare i frammenti della stella~ -23ページ目

星のかけらを探しに行こう ~Andiamo a cercare i frammenti della stella~

仕事も、夢も、恋愛も、結局いつも七転八倒。

それでも僕は前に進みたい。
他の誰かになんて、なれないから。

進むも諦めるも覚悟がいるなら僕は進む。
近くて遠い、あのシリウスを探しに…。

引越しまでもう22日。
さらには3連休に仕事で大阪に行かなきゃいけない。

さらには今、バイトをしていたりする…えー

だから、ますます時間なんてありゃしない。

でも、そこはそこ。
時間はみずからの意識で生みだすもの。
生みだそうという意識もなく、ただ時間に踊らされているのはまっぴらごめんだし、
時間があろうがなかろうが、結果を出すのがプロだからね…なんていってみたりする
苦笑

でも、この年齢でバイト?と思う人もいるでしょうね。
仕事がクビになったわけでもないかんね苦笑

バイトの理由は夢の活動における費用捻出の為。
約1年後に始まるプロジェクトに参加するためには100万はかかる。

100万という金額がないわけじゃない。

だけど、そのプロジェクトが成功した暁には
僕の眼前にはより大きな舞台が待っているのは間違いない。

そんな大きな舞台に立ち、今回のチャンス以上のチャンスが巡った時、
どれだけの費用が必要になるかはわからない。

故に少しでもより多くの蓄えを残しておきたかった。
今回のプロジェクトの費用を捻出した結果、
次のチャンスの時に単なる資金難を理由とした諦めをしたくなかった。

そういうことなのよ。

僕は借金が大嫌い。
とにかく大嫌い。

僕の考えから言えば、上の例で言うより大きなプロジェクトに声がかかったとする。
声がかかるという事は実力的には相応か、
或いは期待される何かがあると評価されている事になり、分相応なのだろう。

が、ここでもし資金難があったとしたら、
自分がチャンスに恵まれた時の事を予見せず、準備もできていない。
その姿勢こそが問題であり、これだけで十分、分不相応である。





世の中には借金をすればいい。
という人もいるだろう。

だが、そういう人ほど、安易だ。
お金のあるところから借りて、それを補おうとする。
それによって、プロジェクトに参加できたとする。

だが、結局は自分では補えなかったことを認め、他者に甘えているだけだ。

そういう甘えはずっと尾を引く。
補えばいい、返せばいい、と。

結果、借金をする人の多くはあちらからこちらからと
借金の負のスパイラルにハマる。


そしてもっと恐ろしいのは負のスパイラルにハマるだけでなく、
借金に抵抗がなくなり、より安易に物事を考えるようになる。

だって、楽やん。
借りたい時にはすぐに借りれたりするんやから。

が、それではモノを考える事の出来る人間ではなく、
結局、猿にも劣ると僕は思う。


安易で安直な方法をとる前に
予見もなく、先見もなかった自分を大いに嘆くべきなのだ。
そして、安易安直な方法に走らず、お金を稼ぐ方法を考える。

そう、お金を稼ぐ方法なんて、今回のバイトを筆頭にいくらでもあるのだから。


こういう時のバイトはもう既に5回ほど経験している。
だが、その都度、再度、気付かせてくれる。
お金のありがたみというものを。


少なくとも労働力の提供であるバイトは体力消耗はある。
安直な借金の方が楽ではある。
だが、安易な方法をとれば、お金のありがたみは次第に薄れ、
麻痺していく。

僕はそうなりたくないのだ。
故に今、深夜に工事現場などなどを…。
睡眠も削られるし、集中力も切れかかる瞬間もある。
体力の消耗も激しい。


だが、こうやって、汗水たらしたお金であるからこそ、
本来のお金のありがたみとそれをいかに大切に使うべきなのかが身に染みるものだ。


あと数週間、まずは徹底的に汗水流してみるよ。
眠いし、ブログの更新も止まっちゃうかもしんないんだけどさ…。
 

わけがない。
必ず報われるのだとしたら、

誰もがみんな勤勉で努力を惜しまない人ばかりになる。

 

そんな講演をした。

 

んなこと、わかっている。

そう思っているでしょ。

でも、こんなこと口にしないよね。

 

そして、口にされるとちょっと嫌な感じしない?

人ってそういうものらしい。

 

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○○大学に入りたい。
お金持ちになりたい。
モテたい。
経営者として成功したい。



必ず報われるのだとしたら、

大学に入る為、
お金持ちになる為、
モテる為、
経営者として成功をおさめる為の努力を誰が惜しむだろうか。


努力は必ず報われるとは限らない。
これが現実である。


よく努力したけれど、結果が出ない状況の人をみて、
努力が足りないという言葉で片づける人がいる。


足りないというのならば、

何が足りないのか?という話になる。
じゃあ、

それが足りていたのなら、努力は実を結んだのだろうか?

そんな保証はない。
そして、

努力が足りていたのかどうかは自分にしかわからない。



はっきり言えば、
努力は必ず報われると言ったり、

努力が足りないという人はアテにならない。
そこには何らかの私意がある事が多い。


努力とは報われる可能性があるステージ。

そのステージに上がる権利を得ただけの事である。
努力した者は誰もがそのステージに上がれる。
だが、そこから報われるかどうかは分からない。


そんなものだと僕は思う。
報われたからこそ、努力の重要性を説く人がいるが、
現実には報われなかった人の方が多く、

努力 = 報われる の法則はなんら説得力がないのである。


それでも僕らは毎日毎日、

ほんのちょっとした事でも努力を重ねる。


たいそうな夢や希望でなくても努力を重ねる。
時々、サボったりすることがあっても。