最近は、人が握ったおにぎりが食べることができない人が多いそうです。
それよりもコンビニなどで売られているおにぎり人気があるとか。
なんだか・・・ね。
コンビニおにぎりは、ごはんの周りに油が塗られていたりするし
内容をみると、何だかいろんなものが入っているから
私としては、全く食べないわけではないけれど
出来るだけ食べないようにはしています。
コンビニ利用はあくまでも補助的な利用。
「おにぎり食べたい」と思ったら
基本自分で握るか、家族にお願いするかと考えます。
だから一般的にも
コンビニおにぎりはあくまでも家でできないから
補助的な利用だと思っていました。
やっぱり人が握ったものが「お結び」「お握り」だもの。
一頃、コンビニや市販されているおにぎりの
セールスポイントに
「手作り風」なんて言葉があって
おにぎりって手作りがフツーだったから
なんか妙な感覚になったものです。
でも、今は「手作り」が逆に嫌なんだそう。
「誰が握ったかわからないから」
「ばい菌が入ってそうだから」
「気持ち悪い」
なんだそうです。寂しいことです。
お茶碗に白いご飯を盛って、塩をふったものより
人に手で握った塩むすびの方が断然おいしい。
材料は同じなのに・・・と
それと握った人が違うと味が違うんですね。
これも子どもの頃に不思議に思ってました。
でもちゃんと理由はあるんですね。
人の手についている常在菌があって
その中の微生物が
ごはんをおいしくするのだそうです。
人が握れば、
おにぎりは発酵食品になるわけです。
もちろん、ある程度きれいに手を洗ったうえでのことだけど。
でも、「菌」とついても悪いものばかりじゃないってことです。
たしかに「菌」だけど。
「菌」って悪いものばかりじゃなくて
からだにいいものもあるんだけど、
そういうことを知らない、わからない人が増えているのね。
「菌」ってつけば「悪い」と思うから
すぐに抗菌、殺菌ってなってしまうみたいですね。
ある意味「菌」に強くならないと健康でもいられないのにね。
過剰な清潔は、他人からみれば不快に思うこともあります。
それと抗菌、殺菌って騒いでいたって、
ネイルしていたり、ハンドクリーム塗りまくってたり、
抗菌スプレー吹き付けていても
自分の顔や髪の毛を触りまくっていたりするから、
「この人の抗菌感覚って何?」って
思っちゃうこともあったり(辛口ですが)
常識範囲っていうのが、最近は幅広いし
未然に防ぐことへの過剰意識が
逆に体を弱らせ、病を作り出していることもあったり・・・
それぞれの知識や情報の受け取り方の感覚が
あまりにも広すぎて
何が良いのかわからないことが増えています。
だけど、昔からあることって実にシンプルだし
今ほど「菌」って怖がっていなかったように思うのです。
情報があることで怯えてしまうことも増えたのは事実です。
「知らぬが仏」ってことで、案外そのほうが良いことも多かったりします。
ただね・・・
個人的におにぎりって、最初の母の味な気がします。
母の手の味。
でも、今の子どもたちは
「母の味」を知らないのかもしれませんね。
母の手から「母の菌」を受け継いで元気をもらっているのかもしれないのに
もったいない。
コミュニケーションが下手になる子どもたち
パートナーと触れることを拒む若い夫婦
使い捨てが清潔と思う浪費と消費の時代
たったひとつの過剰な意識が
大きな流れを作って、大切なものを失っている気がします。
我が家では食欲がなくなると
炊飯ジャーのお米が余ってしまうんですが、
そこで冷凍したり、冷ごはんにする前に
おにぎりを作っておきます。
誰からともなく食べてお皿は空っぽ。
「なんだ・・・食べられるんだったら食事の時に食べてよ」
というと
「おにぎりは別」
と返ってきます。
「だよね」
私の手の「菌」はおいしいのよ。
我が子も、旦那さんもたくさんも私のパワーが入っていることでしょう。
今日も昨晩の枝豆をバラして
枝豆おにぎりを作っておこうと思います。
私のスクールの講座でも
「おにぎりを作る」という課題を出すことがあります。
それぞれの家庭の形や具材があったり
握り方もそれぞれあったりします。
皆さんの課題で思うことは
おにぎりは家庭教育だなっと。
そして
私にとっては「おにぎり」はケアでもあるんです。
深いでしょ?