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私と家庭と地球のケア

チャイルドケア講師でセラピストのミセスカモミールが、自然療法と家庭教育で日々の暮らしをていねいに考えていくブログ。

いろいろなことに通じると思いますが、
最近「土台」とか「基礎」を軽んじられているような気がします。

張りぼてのような上書きの情報ばかり。物や方法だけに頼っている・・・・。
もちろん
合理的にコトを済ませたり、便利に委ねてみることも大切だけど、
物や方法だけでは
「土台」も「基礎」も整わないのです。

どちらを築くためにも
「ていねいさ」であったり、「継続」であったり、「習慣」であったり、
さらにそこには
全然心地よくもなく、楽でもない
「しんどい」「辛い」「疲れる」「面倒くさい」
そんな凹んだ感情も加わります。

そして、何より、「土台」「基礎」は上物を作るより時間もかかるし、
出来上がった時には見えなくなってしまうもの。

見えないからいい加減になったり、手を抜いたり、省いたりして
合理的に手短にごまかしてしまうことが増えてしまうんだけど、
この見えないところに
最終的な違いが出てくるものです。

あーして、こーしたら「良くなる」なんてうまい話しはないんです。
一時的にはそう見えても、良くなっているわけではない。
最終的にはまた戻ってしまう。
それが基礎のない土台のない怖さ。

子育てや体のケア、美容も同じ。
良くなることを合理的にやろうとするものは、
必ず粗が出ます。

良くなりたいなら、合理的に安易に考えないこと。
当たり前のことをていねいに作っていくこと「基礎」や「土台」の
見直しと強化でしょ?
基礎もないままいろんなことやっても続かないでしょ?

当たり前のことを言うと、
「つまらない」「知ってる」「分かってる」「でも・・・」と
疎ましくその言葉を受け留める人もいるようですが
当たり前のことを
自信持ってできている人は少ないんです。
不思議なもので。
当たり前のことができていないのに、他のことができると自慢する。

どうもズレを感じます。
目新しさ、斬新さを身に付けていることで、どうにか体裁を保っているのでしょう。
でもそれは自信のなさの表れではないかと。
厳しいことを言いますが、
どんなに勉強ができても、どんなに資格をもっていても
「土台」「基礎」のトレーニングをしていない人の中身は浅い。

「土台」や「基礎」ができている人は
発する言葉や、動作に細やかに表れるのです。それが実力。
実力をつけるということは、とっても大変なこと。

時間をかけて行なう、待つ、様子を見ることが下手になってきた私たち。
「実力」をつけることも下手になっているように思います。
頭でっかちな状態では実力にはならない。

東京はここのところすっかり「秋」の様子になりました。
いろいろな意味でトレーニングにぴったりのように思います。
身体も、心も、精神もしっかり基礎力をつけて
土台を強化していこうと思います。
努力しないと、今ある力もキープできないし、
今ある力を引き上げていくこともできないのです。
努力は質の良いものを作るためには不可欠なことです。

見かけだけではなく、
質の良さを知るためには、
その見えない努力がわかってないとみることさえできない。
言い換えれば
質の良いものを知っている人は、その人の「質」に共鳴しているから。
体裁にごまかされない真実を知ることは
やっぱり日々の努力と基礎、土台の力です。

最近された質問が
「美肌の秘訣はどんな食べ物を食べているんですか? 化粧品を教えてください」
「このアロマを使えば良くなりますか?」
「このマッサージ方法で良くなりますか?」
「カンタンに免疫が高まる方法を教えてください」

という物や方法を最初の手段に考えることが当たり前になってしまった問いが
とっても多いことに何か疑問をもってしまったからです。
体裁よく、それっぽく、格好よく
アロマの先生っぽく答えることもできます(苦笑)
でも、
それは私のキャラじゃない。
私はバカがつくほど正直に、不器用ながらも健気?なキャラですから
「努力しないと無理」
「そんな簡単にできるものがあったら、皆苦労しない」と
とっても
いじわる婆さん的にお答えしています。
良く言えば、ムーミンのリトルミー。イヤミたっぷり。

それで気づいてくれればいいけれど。
たぶん、そういう人は、
カッコよく体裁よく答えちゃう先生を探して答えを見つけるのでしょう。
でも、それだと、いつも答えを彷徨うジプシーになっちゃう気がします。
どちらが本当に良いこと何だかわかりません。

でももっと自信をもって
「努力です!」って言えるくらい自分も努力を重ねていきたいと思います。