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私と家庭と地球のケア

チャイルドケア講師でセラピストのミセスカモミールが、自然療法と家庭教育で日々の暮らしをていねいに考えていくブログ。

被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

猛暑から長雨、そして暴雨。そんな激しい天候が続くなか
穏やかに秋に流れています。

お天道様はときにむごい爪痕を残して、何食わぬ顔で
穏やかな日差しを注いでくれるけれど、
晴れやかな空の向こうに
悲しみの涙を流し、途方に暮れている人たちがいることを思うと
心が痛みます。

一刻も早く、穏やかな日々に戻ることことを願うばかりです。

さて 皆さんはこの「祈り」をどう思っていますか?
宗教観念が希薄な日本は、
何か特別なシンボルに対して祈るという習慣はありません。
逆に宗教関係なく、
ご利益のあるものとなれば、支離滅裂に節操なく
願い、祈りを無礼にも捧げてしまうことがあるように思います。

無礼というのは、
一応それぞれの宗派のやり方や考えがあったり、
純粋な信仰をしている信者さんに失礼をしているのではないかということで
そのような言葉を使いました。

私も神社仏閣に行くのが好きで、ご朱印をいただくことを
「趣味」のようにしてしまっているので
心の隅で、いつもそんな罪悪感をもったりしています。

日々の信仰があっての「祈り」ですが
私たちは困った時だけの神頼みになっているところがあります。
「神様、仏様、ご先祖様・・・・・」
普段、科学的根拠のないものは信じないという人さえも
「神様、仏様、ご先祖様」と祈り、願っています。
自分の中で収められない不安をどこかに
投影したいのかもしれませんね。

でも、私は「祈り」「願い」は
確実に何かを生み出している気がしています。
何かしらの力を持っているような気がするのです。
強く思い、願うこと。
そうすることで、集中力が高まったり、
持っている力をひとつに集約できる
火事場の馬鹿力みたいなものが
発揮されると思っています。

実際にそのようなエピソードはたくさんあります。
人は必死になったり、全身全霊かけたときに
何かは起こります。

普段は使われない神経や感情や力を
私たちはどこかに秘め隠しているのでしょう。
本当に必要なときにしか発揮できないものを
持っているのだと思います。
それを信じる力もまた必要かもしれません。

実際に最近は、
アメリカで祈りがセラピーになっているということです。
癌患者さんが薬物療法を止めて治癒した例の中で
何が効果を上げたのかというアンケートに
「祈り」「信仰」とあげています。

さまざまな検証で、祈りをささげることで、オキシトシンが出され
体の治癒力が高まることもあるとか・・・・・。
つまり「祈り」は「ケア」として認められてきているのです。
まだまだ科学的に証明するには難しいところではありますが
確実に何かが起こっている。
そして、良い方向に流れているということは
実感として体験している人が多いのだと思います。

そして、「祈り」や「願い」は
決して個人の欲を満たすことではありません。
日本の七夕の短冊やクリスマスツリーには
物質的な欲望が書かれていたものが目立っています。

小さな子どもから
すでに願いや祈りが物質的な欲につながってしまうのは
とても悲しく寂しい世の中です。

本来の「祈り」や「願い」は
全てが調和されている穏やかな状況であることを
願ったり祈ったりするものなんです。
あるいは未来への欲望を果たすものではなく、
「今」を感謝することなのかもしれません。

「〇〇してほしい」「〇〇になりたい」「〇〇になれますように」

ではなく、誰もが「世界平和」を掲げ、
願い祈れることが
本当にこの世の中を変えられるように思います。
平和とは、
平穏な和。穏やかなつながり。

穏やかな日々といのちのつながりを

「願い」「祈る」ことを忘れずにいないとと
私自身も改める日々です。

家にいてもできることはたくさんあります。
「願い」「祈り」と一緒に
できることに関心を向けて
行動できる勇気をもっていたいです。