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私と家庭と地球のケア

チャイルドケア講師でセラピストのミセスカモミールが、自然療法と家庭教育で日々の暮らしをていねいに考えていくブログ。

指導する際には、私は基本的に
「〇〇しなさい」「〇〇してください」という言い方はしません。
それは命令だから。

「〇〇してみたら素敵になるかも」とか
「〇〇にやってみても楽しいかも」と
誘導はするけれど、細かいことはいいません。

だからそれを言わないから不安になる方も多いように思いますが
それが私のスタイルだから。

最終的に〇〇することが目的ではなく
「素敵になる」
「楽しい」
に答えを求めているので、
自発的に動いてくれないと困るからです。

「素敵」「楽しい」って個人主観だし、
とても曖昧な言葉。
でも魅力ある言葉だと思っています。

小さな子どもでもこの魅力がわかるから
「〇〇したらもっと素敵じゃない?」というと
自らその素敵さに誘導されて動くのです。

素晴らしいことです。

私は指導者を指導する立場でもあるのですが、
最近の指導者を目指す方は
「先生」と呼ばれるから焦ってしまう方も多いようで
その焦りが知識を押し付けてしまうこともあります。

知識をかぶせていくことが指導だと思っている。
それはちょっと違う。
全然素敵でも楽しくもない。

そしてさらに指導者となられる方は
自分がてっぺんに立ってしまったと思うのか
それ以上学びを深めようとしない方もいます。

「先生」になってしまうと、
それが最終学習だと思ってしまう。
焦りが出ると新たな学習は見つけるけど
それは深めることにはなっていないことも多いのです。
ただ底辺が広がってしまっただけで
知識が散らかっているようになってしまいます。

指導する側は、
受講者よりもさらに学習を深め続けないとなりません。
その深さが浸透していけば、
余裕が生まれ、「命令」を出さなくても良くなるのです。
結局余裕がないと自分が知っていること、
覚えていることをそのままコピーしてくれることが
伝えると思ってしまうのです。
それなら「先生」は要らない。

余裕ができると自然に「楽しい」「素敵」を
伝えることができるように思います。
コミュニケーションを深めて、
相手との化学反応を楽しめるくらいの余裕は必要です。
そういう指導者を育成したいと思っていますが
なかなか伝えるきっかけもないので、難しいものです。

とはいえ、最近は受講者も指示してくれないと自分で考えたり、
見つけたり、行動できないという声も聞きます。
だから指示してもらい、答えも出してもらえれば
それに帳尻合わせることができるということで安心なんでしょう。
本当の「安心」は
人と答えを合わせることではありません。
自分で答えを出すことができることではないでしょうか?


本当は指導=命令 学習=従順ではないと思います。
これは育児も同じ。
互いのコミュニケーションで深め合い、
化学反応を起こしながら成長できることのほうが
やっぱり「楽しい」「素敵」になるように思います。

人として
たくさんの「楽しい」「素敵」「しあわせ」「豊かさ」を
知っている人は、
良き指導者としての資質を持っているのではないかと
私は個人的に思います。

私はそういう人を目指したいし、
そういう指導者を育成したいと思っています。