私と家庭と地球のケア -19ページ目

私と家庭と地球のケア

チャイルドケア講師でセラピストのミセスカモミールが、自然療法と家庭教育で日々の暮らしをていねいに考えていくブログ。

世の中情報が増えたこともあって

「普通(フツー)」の概念がおかしなことになっている気がします。

下手に使うと
差別用語のように言われたり

テキトーに使うと
いい加減に思われたり

真面目に言うと
難しくとらえられたり。

普通って何でしょう。

平均的なこと、一般的なこと、常識的なこと?

今は価値観もさまざま。情報もたくさんあるから
「普通」の捉え方もずいぶん異なります。

今の思春期の子どもたちも良く使うのが

「フツー」

楽しかった?「フツー」

美味しかった?「フツー」

学校どう?「フツー」

会話が成り立たないから
「具体的にちゃんといいなさい」というと

「わからない」

「普通」とは、あいまいな言葉です。
特に何かが起こらなければ
「フツー」

でも考えれば、本当はそれはとてもありがたいことなんですね。

怪我もなかった、

事故にも遭わなかった

変なトラブルにも巻き込まれなかった

だから「フツー」じゃない。
とっても奇跡的でありがたいことじゃない。
全然フツーじゃない。
そう私は息子に言ったもんです。

それからというもの

楽しかった?って聞くと
「面倒くさい」と言われたりもしましたが(苦笑)

フツーというのは
最近は、無関心に近いかもしれません。
何も事が起こらないでいるから
気にもしていない。
興味もない、
でも、時間はただ流れて、ルーティンワークをこなす

これがフツーだとは思わない。
私のフツーは毎日、違うもの。
いろんなことが起こるし、いろんな発見があって
何をしようか毎日いろいろ試行錯誤してます。
好奇心に毎日がおいつかないくらいです。


それと親も子どものことを
「フツー」であればいいという方が多い。
何?
それ?

別に特別成績が良くなくても、スポーツができなくても
「フツー」ならいいって。
欲がないということとは違います。
謙虚ということとも違うんです。
妥協に近いようかことも感じます。
子育てに面倒なことが起こらないことを願っているんです。

フツーとは親の都合の良い言葉。

問題も起さない、育てやすい子どもがフツー。
というより
余計なことを起さない、楽な子どもがフツー。

そうかな・・・・
それはフツーではなく、
怠慢な子育てで、事実が見えなくなっていることもあります。
そういう子が
フツーではないこともあります。

確かに病気などしたときは、「フツーに元気でいてくれるだけで十分」と
思ったりしますが
そのフツーとは、欲を持たないけれど、最低限の健康をもつことを
フツーとしている解釈ですね。
でも元気でいることは奇跡なのかもしれません。

フツーと平穏は違います。

今の時代のフツーは、とてもマイノリティ。
小さな世界で何となくまとまる言葉。
価値観がそれぞれ。
常にいろいろな人の状況を考えて
いい塩梅を見つけないと
全然フツーじゃないのです。

フツーから除外されると、孤独です。
でも孤独からみれば、それもフツー。
都合のいいフツーが多すぎて
皆がいい加減になっているかもしれません。

なんだか取り留めもないことを綴っていますね。

普通は…という解釈に最近疑問をもつこともあって
誰にとっても普通かを考えないと
とても傷つけてしまうように思います。

そして、
普通は・・・・・というあいまいな言葉を
もう少し具体的に自分がどう思っているのかを
考えたり、伝えないといけないのかもしれません。
妥協することがフツーでもありません。
奇を狙わないことがフツーではありません。

普通って、なんとなく共通、共感できそうな言葉だけど
全然異なることがあるということ。
あなたのフツーは、私のフツーじゃない。

恐ろしいことです。

ちなみに私は今、足を捻挫しているので、
身動きに制限があり、
いつも考えないことに思考がいってしまうようで
こんなことを
考えてしまったようです。
たぶん、この状況はフツーじゃない。

まぁ、体も心も正そうとしているんだと思います。
テキトーにしない・・・。
あいまいにしない・・・。
流されて見失わない。

つまり、今日の締めとしては
フツーとは、
時に自分の心や体や行動を正すためのものであり、。
物事を公平に見て、感じられ余裕があるときに


「フツー」と言えるんだ!ってことです。

そして、
フツーって、何よりも難しくて、いちばん贅沢なことなんだってこと

「フツー」を簡単に捉えちゃダメよね。

こんな考えフツーじゃないかな?(苦笑)