JR東日本485系『彩』(いろどり)


 時は2006年末、JR東日本にお目見えした団体用車両があった。その名は『彩』(いろどり)。一方の先頭車両が紫と白の色合いをしており、その見た目と相まって『フリーザ』というキャラクターに例えられた。

 その生涯は波乱万丈なものであった。今回はそんな車両の物語をチャプターかキャプチャーというのか、軽くまとめてみたい。なお写真は手元に有していなかったことから、フリー百科事典『ウィキペディア』から引用している。


1.485系1500番台
 そのフロントマスクから『フリーザ』というキャラクターに例えられた、長野支社の団体向け特別車両『彩』。元をたどれば485系1500番台として新製登場しており、ある特別な任務を背負っていた。

 それは北海道の鉄道電化開拓。札幌近郊を中心に、旭川までの交流電化が完成。北海道に投入された一般型の711系電車とともに、1975年から特急列車の高速化を実現させていくこととなる。


2.北海道電化開拓者の一員として
 北海道の鉄道電化開拓に寄与し、何より札幌から旭川の高速化に貢献。しかしその環境は過酷そのものであった。北海道内での運用が前提となった711系に対して、あくまで内地(本州)用の基本設計である485系1500番台。

 特に冬季は極寒や、細かい雪質で雪量も多い。北海道内での運用を前提に耐雪耐寒構造を有していたものの、雪による故障は頻発。最終的には北海道専用の特急車両となる、781系電車の登場を待たなければならなくなった。


3.内地への引き上げ、広域転配という離散劇
 1978年に781系が登場し、見届けた後は順次本州(内地)へ引き上げていく。485系は汎用性が高く、内地向けにも耐雪耐寒構造を有した1000番台が登場していた。

 1500番台は1000番台と混用され、寒地である東北地区や北陸地区で活躍。1500番台は運転台上に設けられるライトが2灯式であったことから、先頭車両における外観上の特徴となっている。


4.国鉄民営化とさらなる転機、3000番台へ改造された仲間
 1987年に国鉄は分割民営化され、1500番台は全車両がJR東日本の保有となる。活躍の場はやはり寒冷で積雪の多い、新潟から東北地方にかけての日本海側となった。

 特急車両のグレードアップ化も施され、485系1500番台も例外にあらず。特に登場から20年の経過した1995年からは、大規模なリニューアル工事が敢行されることとなった。大規模工事施工車両は3000番台となり、先頭形状が大きく変化している。


5.仲間との別れ、運命の決まった長野への転属令
 2001年からは中間車両の廃車が始まった。先頭車両は引き続き活躍を続けるも、3000番台となっていた1両に悲劇が起こる。2005年も末となったころ、羽越本線で突風による事故に遭遇。大破したのちに事故廃車となった。

 その翌年。残った1500番台先頭車両のうち、2両が新潟から長野へ転属することとなった。これが『彩』(いろどり)の先頭車両となり、リニューアルを経て特徴ある色合いと形状となる。


6.北陸新幹線金沢開業から晩年
 2007年から『彩』は団体専用運用が中心となる。用途が限られたことから事実上の隠居生活を送るも、運用された際は特徴ある外観で注目を浴びた。2015年に北陸新幹線が金沢まで開業すると、長野から直江津の第3セクター転換を経て『彩』も乗り入れを廃止。

 直流専用化されて5500番台となった後、用途はさらに限られたものとなる。北海道電化開拓から40年が経過し、老朽化も顕著になってきていた。2017年9月末に最後の運用を終え、1500番台由来の485系は全廃。この2両が最後の生き残りであった。


 今回はJRの『フリーザ』こと、485系『彩』(いろどり)について軽くまとめた。その車両には、それぞれ歴史がある。そんな『鉄道伝説』みたいなことを、してみたかったという話。

(おわり)