9500系に設置されているドア開閉ランプ。
2020年6月11日(木)午後3時39分 名古屋市西区・東枇杷島駅を通過
3100系で特急色になった編成。座席モケットも3300系等と同じ紫色系になっており、優先席はピンク系。車端部すべて、合計10席に拡大されている。
2200系に合わせて白ベースとし、上部分はグレーと赤色。窓下の赤帯が風格を示すようで…、3300系に合わせたとも言われているらしい。
この塗装変更は3100系へのみ施され、それも一部編成は対象になっていないとも言われる。ワンマン対応(及び6000系置き換え)の有無で分けるのだろうか?(写真に"もや"がかかっているのは、本体が冷えたため。)
今回の目的は、この度完成した布袋の新しい高架ホーム。最初に論文等で、高架化事業に触れたのが2004年~2008年。了見の違いが紆余曲折を生み、足掛け10年以上。その高架工事は多くが形としてようやく現れた。
従前と変わらず急行停車駅らしく、2面4線式のホームを持つ布袋。高くなった天井は無機質で、LED照明共々体育館らしい仕上がり。対して床面はタイル張りで上質な仕上がり。
階段を降りた踊り場は2段構え。2017年に名古屋方向のホームが先行完成した際、大理石調の壁面となっているのをそこそこ覚えている。白色系で光沢があり、輝きが美しい。
トイレは新しくも洋式便器が少なく、便座に洗浄機能は有していない。洗面台に最近用意されるようになった石鹸液は緑色で、ポンプ容器は駅ごとに定まっていないようだ。
ところで甚目寺は白色不透明のポンプ容器を用いており、そのために液体が薄水色系だと覚えたのだろう。名鉄岐阜は1階と2階でポンプ容器が異なっていた。(これをもって訂正とする。)
話を戻そう。やはりまだ暫定完成らしく、改札を出た先の通路は工事用壁で囲われていた。改札機は3列しかなく駅の規模に対して物足りないが、増設用スペースにはゴミ箱が置かれている。
高架工事によって、これまでなかった出入口が設けられている。形は完成しているので、今後は完成に向けて"見た目"を仕上げていく。
2012年10月以降に仮線へ移り、その"跡地"へ高架橋が建設される。この頃になっても、いまだ全貌は見えなかったもの…。
それから8年弱、概ね7年半強使われ続けた仮設ホーム。鉄骨で土台が組まれ、床面はコンクリートで敷かれて。跨線橋もエレベーター付き。使用期間が限定されることから簡素な装いも、頑丈さは遜色なく。その役割を全うした。
構内踏切だった箇所はそのまま、通路として継続使用される。駅前広場が設けられた後、仮設駅舎を設置。それ以前の駅舎は1912年から使われ続けたという、古典的な木造建築であった。
仮設駅舎は10年強の間、その役目を担ってきた。入口は柵で閉ざされ、改札機があった場所にそれは今非ず。窓口はシャッターが下ろされ、静かに眠りへついている。
地上のホームと跨線橋、駅舎が解体される跡地。今後は側線1本と、駅前広場が整備されるのだろう。加えて高架下を通り抜ける道路も、新たに設けられるという。
改札へ戻ってきた。券売機は1つしかなく、こちらも規模に対して心許ない印象。駅員は終日配備されており、窓口がその役割を担うと考えたい。精算機も同様になく、窓口で行う形。こちらはおそらくこれで完成だ。
エスカレーターは1人幅となっている。しかしそんな"第1エスカレーター"の横に、壁面だけで何もない行き止まりスペースが生じている。理由はともあれ、これこそ殺風景なもんだ…。
現在はホームから、残っている地上設備や周辺を眺められる。布袋にはもともと側線があり、新しい高架駅にもすでに鉄筋が用意されている。完成後は"壁"になるだろうから、整地された様子も見られない。
エレベーターと同様に色分けされた待合室は、なかなか造りも頑丈というか。このご時世で窓などは全て開いているが、そもそも空調装備が設置されていない。このままでは猛暑日どうするか。
吊り下げられた駅名標に"バックライト"なんざなし。近年の名鉄はこの形式で定着しており、どことなく大量生産でワンパターンな方向性になってきている。コストダウンもそうだが、下がった費用をデザインに…?まあ、これ以上はやめておく。
ということで第2次完成となった、布袋の新しい高架駅。改札内部はこれで完了とみて、後は高架下スペースや周辺の整備だ。最終の完成を見る際は原付で来るのもいいかもしれない。
最後におまけ。岐南も通過線の外側、待避線にホームを有する駅となる。新幹線で多く採用されたタイプであり、二ツ杁をより簡素に仕上げた印象。普通しか停車しないのならばこんなものだろう。
(おわり)