今回はあくまで私案です。見解等は異なる場合があります。

2019年日本プロ野球 平成最後に出来ること

 メジャーリーグでは2017年から『プレイヤーズ・ウィークエンド』を実施し、好評を博しているという。そこで"日本版プレイヤーズ・ウィークエンド"を考案すべく、同時に"平成最後"らしい企画を考案。

 名づけて『平成メモリアルシリーズ』。既に"10連休"の"予定事項"を発表しているところもあるだろうが、この期間に"平成メモリアル"の復刻デザインユニフォームを着用すればと。

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 加えて統一ワッペンを左袖に付け、下部分の空欄に"未来へのメッセージ"を記せばと。以下に選んだデザインの左袖が空欄なのは、そのためだ。(広告欄も空けている。)

『平成メモリアルシリーズ』デザイン案(セ・リーグ)

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中日:1990年ホーム用
 現状の"復刻能力"を考えて、与田剛監督がプロ入団した年のユニフォームとした。ロサンゼルス・ドジャースとほぼ同デザインが採用されたこと自体は昭和末期。ワッペンや広告ロゴを入れると、1996年以降(1997年のナゴヤドーム開場)にネーム等のフォントが変わったデザインへ通じたり?変更後のフォントはフルモデルチェンジを経て、2011年まで使われた。

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東京ヤクルト:1993年ビジター用
 1990年に野村克也監督が就任し、データを駆使した『ID野球』で4度の優勝(日本一が2度)を飾る。それまでとデザイン面での差異は大きくなかったが、それまでが低迷していたため"黄金期らしい"印象。今回は上下薄青のビジター用を選定し、唯一完全プルオーバー式となった。

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横浜DeNA:1998年ホーム用
 1993年に『ベイスターズ』となり、"象徴"たる明るい青色を採用。1998年には『マシンガン打線』でリーグ優勝、日本一を飾った。その後親会社が変わっても引き継がれ、2008年まで着用された。これまで復刻されたのはビジター用であり、そろそろホーム用が見たいからと選定。

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読売巨人:2000年ホーム用
 1993年に就任した長嶋茂雄監督はアメリカ野球がお好きらしく、当時"新古典主義"により流行していたラケットラインをユニフォームに取り入れてたそうな。2000年に相次ぐ戦力補強で"背番号3"が復活したのは皮肉。帽子の地色が黒ではなく、鉄紺なのはあまり知られていない。

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阪神:2003年ホーム用
 1985年の優勝以来、栄光を引きずってか"暗黒期"でもデザインを変えなかった。2000年に黒帽子がホームでも取り入れられ、翌年からはビジター用を中心にデザイン変更。星野仙一監督による"意識改革"があって、2003年にリーグ優勝を果たす。その後2005年も、同デザインで優勝した。

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広島東洋:2016年ホーム,ビジターを逆にして使用
 1991年以来リーグ優勝のないまま、旧市民球場が閉鎖。2009年に新球場がオープンし、現在のデザインとなる。斬新な設計の新球場が人気になり、特にビジター用の女子人気も増加。チームも"暗黒"から脱し、2016年からリーグ3連覇するなど現在進行形で続く伝説。

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 ところでホームとビジターで、サプライヤーがそれぞれ異なるユニフォーム。元々デザインセンスに秀でた中で、現在と同じデザインを選定。せっかくの企画なので、ホームとビジターを入れ替えてみた。…って、アンタ誰さ?

『平成メモリアルシリーズ』デザイン案(パ・リーグ)

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埼玉西武:1997年ビジター用
 西武らしい水色系、いわゆる『ライオンズブルー』を1979年から採用。1996年からビジター用が上下別色にモデルチェンジしたものの、このデザインはこれまで復刻されていなかったため選定。ついでに"平成の怪物"松坂大輔選手(現:中日)がデビューしたのも、このビジター用ユニフォーム。

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福岡ソフトバンク:1999年ホーム用
 福岡へ移転後1993年から、これまた"新古典主義"に則りラケットラインを採用。成果として現れたのは王貞治監督が就任した後、1999年の優勝(日本一)である。同時に帽子も"ツバ部分"がオレンジ色となっている。親会社が変わって以降の2006年途中からは、黄色ながらも"ツバ部分"が黒から変わっているなど継承されている。

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千葉ロッテ:2000年ビジター用
 やはり"新古典主義"なのか、就任したボビー・バレンタイン監督の意向なのか。1995年に現在まで続くピンストライプのホーム用が登場。当初ビジター用はグレーだったところ、2000年に黒へと変更。応援スタイルもこのときまでに変化(レプリカユニフォームの着用等)しており、ビジター席が"ブラックホール"と化した。

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オリックス:2001年大阪近鉄ホーム用
 神戸(旧オリックス)だけではなく、大阪(旧近鉄)も注目して欲しいからと選定。1997年の大阪ドーム完成と同時に、有名デザイナーを招聘して登場。これまでの"野暮ったい"イメージから脱却を図るも、2004年に球団はオリックスと合併して消滅。2001年のリーグ優勝は現状、新旧オリックスと旧近鉄を合わせても最後となっている。

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東北楽天:2005年ビジター用
 新規参入球団として歴史が浅いため、実質は"1世代前のデザイン"が"初代"となる。そこでとりあえず、2005年の"旗揚げ試合"を勝利で飾ったビジター用としてみた。ただ2010年以降のビジター用は年々企業色が増しており、これが最良だったり?ついでにこのデザイン、東京ドーム主催試合(企業色が強い)で配っていいかも。

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北海道日本ハム:2006年ホーム用
 2004年に東京から北海道へ移転すると、パ・リーグは地域色を強めるという新たな時代へ突入。先頭で盛り上げたのが、アメリカから帰ってきた新庄剛志選手であった。ユニフォームも左右非対称デザインを採用するなど、新時代らしく斬新なもの。引退する2006年にリーグ優勝、日本一を経てアジア王者へ…。
(おわり)

まあ、予定はまだ決まっていません。