イメージ 1

猪狩守「ハァ…、ハァ…。疲れるな…、これな…。もうトシだからな…、一応今年末で37ってなってるし。それにさ…、今まで使ってた呉竹のフレッシュカラー。アレが切れちゃってな…、紙用マッキーで代用なんだと…。」

 想像してみようか、監督が現役復帰する姿を…。監督が選手兼任でもないのに現役時代の背番号24を続けるのは、現役に未練があるに違いない。ただ遊びとかお呼ばれで軟式に手を出すと、実は別物だと気づいてしまったり。

※以下の文書はほぼ間違いなしにフィクションですが、よく見て考えましょう。


 あの逃走劇から、休日は草野球の助っ人に引っ張りだこ。かつての名選手が、趣味でやってるだけの野球に加わるなんて…。そういう夢は、程なくさめた。硬式と軟式は全くの別物だったのだ。当然、結果は散々さ。どうせ何やっても同じ。居場所なんか家しかない。行き着く先はネトゲ廃人か否か。

 ネトゲ廃人化を阻止したのは、他でもない夫人であった。連絡先を漁り、2007年にチームメイトとして優勝に貢献した中日2軍監督と接触。入団テストを経なくても何らかの形で獲得可能ではあったが、あくまで好影響を及ぼせるかが重要。むしろ1軍含め、戦力以外での効果を期待していた。苗字が同じ野手とか、背番号24をつけた投手とか…。

 中日では育成選手として契約することとなり、背番号は日本球界最大となる240になった。起用場面は専ら代打であり、支配下登録を加味したところで変わりない。さらには監督時代の指導力がある程度生かされるか。

イメージ 2

 軟式とは違う、手馴れた手ごたえ。決してダメなんかじゃない。それに変なプレッシャーもない。肝心の若手が追いつけないこともない。代打で出て、粛々と結果を求めるだけ。

 支配下登録枠が余ったからと、締切ギリギリで昇格決定。背番号24は固辞して96を希望した。代打で時折活躍しては、まさしく"神ってる"を体現。そしてついに…、運命の日。

 青き衣をまとい、監督不在状態の続く古巣へ牙をむく。巨人がかすかに抱いた希望は、前監督の"神っ"た1打で無残にも砕かれた。せめて保持したかったAクラスが、手から離れていく。

 かくして80年以上にわたって構えた東京を、追われていった。しかし(ビジター客を別にして)残ったファンへ、あくまで言い放った。お前たちと心中したい!!応援したいやつは栃木にも付いてこい!!東京から出たくなけりゃ二度と来るな!!

 以降皮肉にもビジター球団でBSやCSの中継に制約がなくなったのか、放送を拡大し平等化。キー局に全くといっていいほど頼らず、巨人も重い腰を上げて球団自ら中継番組を制作。キー局による中継は完全ランダム化した。

 肝心の球場は、もはや『ボールパーク』だけでは飽きられて『コンセプト』をも求められる時代。そこで目指したのは『野球マニアの館』。そもそも何をしに球場へ行くかと言うと、答えとして最もあるべきなのが『野球を見る』とかそういうもの。場内のアトラクション系が目当てなら、他を当たればいいのだ。

イメージ 3

 そして"地方巡業"も忘れない。特に福島市は『巨人軍の歌(闘魂こめて)』を作曲した古関裕而の出身地とあって、敬意を表しないわけにいかない。しばらくは地方人気をアテにしていいし、むしろそれこそ"地方創生"だろう。

 FA等の大型補強も封印し、高年俸選手は容赦なく放出された。常勝軍団という4文字を捨て、球団規模も縮小した以上は無理することもない。身の丈なだけでなく、近年のトレンドとなる自主育成。考えれば、1960~70年代もこれで勝ち進んできているのだ(グレーな選手も少々いたようだが)。逆に監督はOBにこだわる必要がなくなり、選手兼任も場合によって可能となるなど自由度が増した。

 苦戦は必然だった。旧来の巨人ファンは意義を考え直したため、絞られる形で激減。反対に宇都宮の本拠地化で"地元球団"という大義名分が生まれ、新規客は増加。足し引きすると、収容人数の関係で減少か。かつての盟主らしからぬ負け続きも、もう盟主でなくなったからと開き直り。1勝の喜びが大きくなった。

 東京ドームは追い出した穴埋めとして、阪神,広島,ヤクルト,ロッテの主催試合が組まれるようになった。日本ハムは変わらず組まれ、ソフトバンクは1試合から大幅増加。巨人も完全撤退は逆に許されず、年数試合は主催権を維持。旧来のファンはここに集約されることとなった。DeNA,中日(東京新聞が関連しているので一応可能なはず),西武,オリックスは主催を見送った。

 東京オリンピックが終わって数年後、巨人を滅ぼした張本人とされる人物が登場。無理につかんだ現役生活は早々と幕を引き、以後はフリーの評論家に転進。考えも改まったというが、この日まで巨人と接触できないでいた。さらには巨人から放送枠を買収して放送させたBS日テレやCSジータスからも、放映権料と言う形で非礼を詫びたいという。サンテレビは対阪神戦のみ乗っ取ったかわりにフルサイズ中継を維持したため、好評だったという。

 稲城市に残った2軍の新球場も完成し、33000人規模への拡張準備工事を施していた。外れとはいえ、東京都内といえば東京都内。再移転して拡張も出来るし、放映権料で戦力補強もできる。ただ、苦労して集めた栃木のファンを放ってはおけない…。

「…もう、あんな悪夢はこりごりだ。」

 盟主たる常勝軍団だったのも昔のこと。今更戻ろうなんて無理な話だ。戦力補強は適材適所、適量なら文句ない。再移転は検討を継続し、補強は最小限にとどめるようにしよう。そもそも、巨人の始まりは1934年。日米野球のために結成された選抜チームが源流となっている。その役割は本来というか、名実共々代表チーム『侍ジャパン』が担うもの。1チームで最強を目指す必要などないのだ。

 こうして巨人は死んで、巨人は生き返った。宇都宮にも新たなレガシー生まれた。東京の人間が応援したい野球チームを改めて考え、意味を見つけた。多数派だけが全てじゃない、

 ついでのネタ。"監督やめた人"と同時に入団した"ハンカチの人"が背番号230をつけ、どこかで豪語した"ビッグになろう"という言葉を別の形で実現とか。リース扱いのマカンはおそらく返却だろう。
(おわり)

このシリーズはあくまで創作物ですので、抗議は受け付けません。でもそろそろ、本気で体質改善に取り組まなければなりませんよ…。ヒッヒッヒ。