もう、このシリーズばかりで飽きることでしょう。そこで今回、新たなテイストを加えてみました。そして、今回の行き先はどこでしょう?
予告標識に堂々と"通行止"の表記があるので、向かって着いたのがここ。線路沿いの道は車両が通行できないため、このような措置が取られている。実際には歩行者の通行が可能であるため、通行止の標識は正しくないといえよう。
めぐ「さて、バイクに乗っているということがワルだというものもおりまして…。」
ひろ「別にいいだろうよ、免許取ったんだし。」
原付シリーズとして、少々テイストを変えてみる今回。ここを一応のスタート地点とみなそうか…、と思ったがまずは給油せねば。
ひろ「それぐらい始める前にさ…。」
めぐ「いいじゃん、入れてからスタートでも。」
(現)ダイヤ昭石・弥富駅前(昭和シェル石油・愛知県弥富市) 117円×4.53L
とりあえず満タン給油し、今回のスタートとしよう。ここは給油レーンが4つしかないので、比較的小規模なものだろうか。では、ここから東へ進むとしよう。
めぐ「キンブル見て…。」
ひろ「何か欲しいものとか?」
めぐ「何があるかなって…。」
国道1号 キンブル弥富店(弥富市)→桶狭間古戦場(豊明市)
色々と安く売られている店では何も買わず、国道1号を走行し続けよう。この付近は一部を除いて、片側2車線分の用地が確保されている。この用地を利用して橋の架け替えも行われている。国道302号と1度目の交差をする箇所にて、原付は高架橋を通行できないので側道へ。合流後は片側2車線となり、工事中だった箇所は完成していた。
めぐ「…そのまま進もうかな?」
ひろ「え、決めてなかったのかよ?」
めぐ「決めてはいるけど…、1回このルート通ってるし。」
庄内川を渡ってからは名古屋市内らしく、次第に都会じみた風景に。そして片側3車線、白鳥橋から熱田神宮付近までは片側4~5車線となる。名鉄常滑線の高架で側道に別れる形となり、合流後は片側2車線となる。名古屋高速3号の高架下は2車線分が右折に割り当てられ、国道とともに原付も従うこととなる。
めぐ「標識あると楽なのよ。」
ひろ「そりゃあ…、二段階右折か?」
めぐ「二段階ってどういうのか見たことない。」
名古屋高速の下は片側3車線となり、左端の車線は休日を除く朝7時から9時までバス専用となる。高速が離れるとバス専用扱いがなくなり、程なくして片側2車線となる。緑区に入った辺りからは中央分離帯がなくなり、さらには片側1車線対面通行に。
めぐ「これあんまり調子とか、止まってるとよくなかったりとか。」
ひろ「そうなのか?」
めぐ「中古で6~7万ぐらいで…。」
ひろ「そうだよな、金なかったらそれぐらいしかないだろうし。」
大高緑地への分岐路がある箇所だけは中央分離帯が設けられ、わずかな間だけ片側2車線にもなる。そして国道302号と2度目の交差をし、ここまでが通行実績のある区間。
ひろ「あ、そうなんだ?」
めぐ「ここからちょっと通りたくなっちゃってね…。」
引き続き片側1車線が続くも、丘陵地らしく起伏が目立つようになる。住宅の並びとか、眺めも結構好みだったりするもの。
ひろ「この横とか入り込んでみたいんじゃなくってか?」
めぐ「それは別かな?とりあえず道とか、走りたいとこ選ぶ形だし。」
そのまま豊明市に近づく。
ひろ「きつくなってないかい?」
めぐ「だいぶきてるかな…。」
史跡・桶狭間古戦場伝説地
そろそろという頃合であったため、休憩ついでに見物としよう。戦場そのものの場所がどこなのかは諸説あるとされ、軍勢の多さ(織田信長軍3000に対して今川義元軍25000)からも。現在史跡として扱われる場所には、他にも石碑が建てられている。この日はボランティアの方による案内があった。
1560年6月12日(旧暦:5月19日)、その日も今日みたく暑い日だったそうな。今川義元は休憩がてら緒戦の勝利を祝っていたところ、突然の大雨に見舞われたとか。それに乗した織田信長軍が奇襲を仕掛け、最終的に義元は討ち取られたという。
めぐ「…これぐらいにしとこう。」
ひろ「いいのかそれで…?」
めぐ「あんまり歴史とか詳しくないし、これもらったの参考にちょっと入れればいいかなって。」
(つづく)
県道8号から続く形となり、引き続き片側1車線の対面通行となる。センターラインは点線だったり、黄橙実線になったりと。そして景色は山間部の路線となり、アップダウンが目立つように。下り坂は速度も出やすく、眺めがよくなれば爽快。対して、上り坂はフルパワーでも速度が低下しやすい。
人間五十年。下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。織田信長は清洲城を出て熱田神宮を経て、桶狭間の合戦となったといいます。現在のルートとすれば愛知県道67号から国道22・19号、そして国道1号といったものでしょうか?
2016年6月18日(土)午後0時2分 愛知県弥富市・常設通行止該当箇所

予告標識に堂々と"通行止"の表記があるので、向かって着いたのがここ。線路沿いの道は車両が通行できないため、このような措置が取られている。実際には歩行者の通行が可能であるため、通行止の標識は正しくないといえよう。
めぐ「さて、バイクに乗っているということがワルだというものもおりまして…。」
ひろ「別にいいだろうよ、免許取ったんだし。」
原付シリーズとして、少々テイストを変えてみる今回。ここを一応のスタート地点とみなそうか…、と思ったがまずは給油せねば。
ひろ「それぐらい始める前にさ…。」
めぐ「いいじゃん、入れてからスタートでも。」

(現)ダイヤ昭石・弥富駅前(昭和シェル石油・愛知県弥富市) 117円×4.53L
とりあえず満タン給油し、今回のスタートとしよう。ここは給油レーンが4つしかないので、比較的小規模なものだろうか。では、ここから東へ進むとしよう。
めぐ「キンブル見て…。」
ひろ「何か欲しいものとか?」
めぐ「何があるかなって…。」
国道1号 キンブル弥富店(弥富市)→桶狭間古戦場(豊明市)
色々と安く売られている店では何も買わず、国道1号を走行し続けよう。この付近は一部を除いて、片側2車線分の用地が確保されている。この用地を利用して橋の架け替えも行われている。国道302号と1度目の交差をする箇所にて、原付は高架橋を通行できないので側道へ。合流後は片側2車線となり、工事中だった箇所は完成していた。
めぐ「…そのまま進もうかな?」
ひろ「え、決めてなかったのかよ?」
めぐ「決めてはいるけど…、1回このルート通ってるし。」
庄内川を渡ってからは名古屋市内らしく、次第に都会じみた風景に。そして片側3車線、白鳥橋から熱田神宮付近までは片側4~5車線となる。名鉄常滑線の高架で側道に別れる形となり、合流後は片側2車線となる。名古屋高速3号の高架下は2車線分が右折に割り当てられ、国道とともに原付も従うこととなる。
めぐ「標識あると楽なのよ。」
ひろ「そりゃあ…、二段階右折か?」
めぐ「二段階ってどういうのか見たことない。」
名古屋高速の下は片側3車線となり、左端の車線は休日を除く朝7時から9時までバス専用となる。高速が離れるとバス専用扱いがなくなり、程なくして片側2車線となる。緑区に入った辺りからは中央分離帯がなくなり、さらには片側1車線対面通行に。
めぐ「これあんまり調子とか、止まってるとよくなかったりとか。」
ひろ「そうなのか?」
めぐ「中古で6~7万ぐらいで…。」
ひろ「そうだよな、金なかったらそれぐらいしかないだろうし。」
大高緑地への分岐路がある箇所だけは中央分離帯が設けられ、わずかな間だけ片側2車線にもなる。そして国道302号と2度目の交差をし、ここまでが通行実績のある区間。
ひろ「あ、そうなんだ?」
めぐ「ここからちょっと通りたくなっちゃってね…。」
引き続き片側1車線が続くも、丘陵地らしく起伏が目立つようになる。住宅の並びとか、眺めも結構好みだったりするもの。
ひろ「この横とか入り込んでみたいんじゃなくってか?」
めぐ「それは別かな?とりあえず道とか、走りたいとこ選ぶ形だし。」
そのまま豊明市に近づく。
ひろ「きつくなってないかい?」
めぐ「だいぶきてるかな…。」

史跡・桶狭間古戦場伝説地
そろそろという頃合であったため、休憩ついでに見物としよう。戦場そのものの場所がどこなのかは諸説あるとされ、軍勢の多さ(織田信長軍3000に対して今川義元軍25000)からも。現在史跡として扱われる場所には、他にも石碑が建てられている。この日はボランティアの方による案内があった。

1560年6月12日(旧暦:5月19日)、その日も今日みたく暑い日だったそうな。今川義元は休憩がてら緒戦の勝利を祝っていたところ、突然の大雨に見舞われたとか。それに乗した織田信長軍が奇襲を仕掛け、最終的に義元は討ち取られたという。
めぐ「…これぐらいにしとこう。」
ひろ「いいのかそれで…?」
めぐ「あんまり歴史とか詳しくないし、これもらったの参考にちょっと入れればいいかなって。」
(つづく)
2016年6月5日(日) おまけ・養老公園まで行きたくなった話
岐阜県道56号 駒野(海津市)→養老公園東(養老町)県道8号から続く形となり、引き続き片側1車線の対面通行となる。センターラインは点線だったり、黄橙実線になったりと。そして景色は山間部の路線となり、アップダウンが目立つように。下り坂は速度も出やすく、眺めがよくなれば爽快。対して、上り坂はフルパワーでも速度が低下しやすい。
人間五十年。下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。織田信長は清洲城を出て熱田神宮を経て、桶狭間の合戦となったといいます。現在のルートとすれば愛知県道67号から国道22・19号、そして国道1号といったものでしょうか?