もはやメインは名ばかりの、こちらのブログ。今回は春になり桜が咲き誇る4月の話を、先取りする形で見ていただきましょうかと。とりあえず始めます。
かつて、春になると桜が咲き誇っていた木田駅。スロープ工事や枯れ枝などの問題があって、いつしか姿を消してしまった。そして時代の流れと共に変化し、この度駅番号が割り振られた名鉄の駅。
めぐ「皆さんおはようございます。今日1日、18きっぷを使って出かけましょうかと…。」
0.木田5:33発→名鉄名古屋5:53着 普通・伊奈行き 6462
と言うことで、お馴染みなようなそうでないような朝1本目。全日とも6000系列の4両となったのは、いつの話だったか…。
栄生は工事が終わったのか、やはり新しい装いとなったようだ。発車表のLEDだけでなく、待合所も新しくなっており印象が変わっている。
ではいつものように、広小路口にて…。
もも「例のモノを見せろ~。」
さく「例のモノを見せろ~。」
なぎ「…だってさ。」
今回の目的地を単純に2つ言うと、関西空港と和歌山のどこか。これまで沖縄を除く46都道府県を回ってきたものの、2010年以降足を踏み入れなかった山形と和歌山。旅行日数や東西のバランスを考え、この決定となった。
もも「…じゃあ、さっさと始めちゃってさ。」
さく「…いいの?」
西に向かうとき、いつもこの6番ホームから始まってきた。今のところ、JR東海は駅番号や路線記号といったものを導入していない。他はと言うと、近鉄は名鉄に先駆けて駅番号が導入されている。
1.名古屋6:10発→大垣6:49着 普通3303F・大垣行き クモハ311-5
かつて東京から乗り入れてきた373系にかわって、2009年から岡崎始発となり311系となった列車。適当に座ったところで、ひとまず寝ておこうか…。
さく「それがいいよ、どうせ夜寝てないんだし。」
思えばこの列車、時期によっては313系1100番台が用いられたこともあった。休日のみ、かつての373系さながらに後部編成を切り離したこともあった。現在は全日とも311系で、大垣まで8両で運転される。
程よく寝たところで、米原へは大垣で乗り換えとなるのも変わりない。40分ほどで着くのは、旧来の1番線ではなく5番線。幸田,三ヶ根,蒲郡,三河三谷,三河大塚,愛知御津,西小坂井,豊橋,浜松,静岡,富士,沼津,三島,熱海,小田原,大船,横浜,品川,東京やそれ以遠から乗り継いできた客はもういないはず…。
しかし実際は乗り継ぎ時間が3分に満たなくなり、米原まで乗る列車が2番線から発車するのは変わらない。夜行からの乗継だった、当時のような"大垣奪取"。
2.大垣6:52発→米原7:27着 普通3207F・米原行き クモハ313-313
そしてこのダイヤ改正で、313系300番台を2本つないだ4両となった乗り継ぎ先。減車によって明らかに座席が少なくなり、むしろ争いを過激化させているようなもの。
もも「それで1人だけ座ってるんだもの…。」
座りたいから座ったとしても、座れるのは通路側。これでは車窓の桜が美しくとも、撮影は難しい。立ち席を選んでも、立ち客が同じく多ければ下手な行動は取れない。
結局は35分もの間、座れれば眠気に誘われるまま寝ることぐらいしかすることはない。これまでも先へ急ぐならば米原で乗り換えとなっていたものの、今回のダイヤ改正で乗り換えが必然的となった。
さく「…もうアレなんだし、直通でいいじゃん。」
さて、駅にあるこの時計。サイズも大きく、何より蛍光色が採用されていて気になっていたもの。JR東海ではコーポレートカラーからかオレンジ色が採用されており、JR東日本やJR西日本では黄緑色となっていることが多い。最初に導入されたのはいつごろ、どのような経緯によるものだろうか?
隣の加古川行きは221系の6両で、よく考えればかつて大垣から乗り入れた列車である。曲がりなりにも両数が多く、大垣夜行定期運用時においても階段位置からして後方はかなり空いていたものであった。そしてどういうわけか223系が使われた時期もあり、ごく稀に6000番台化される前の225系も使われていた。こちらに乗る場合は近江八幡で抜かれることとなる。
めぐ「次、遠く行くわけじゃないし…。12両どこでもいいんだよね。」
なぎ「そんなぐらいは大体わかる。225狙うんだろ、また。」
米原の東口は開発途上なのか、空地が目立っている。付近の桜はちょうど満開か、散り始めるかといったところ…。
これから乗る新快速が入ってきた。とりあえず、前方の8両は223系。そして後方のパンタグラフは、菱型というか下枠交差型というか。
ということで、後方4両も223系。座席数は225系共々変わりなく、座席そのものも2000番台初期車両まではむしろ造りがよかったりする。モケットは225系のものに交換が進み、この車両は交換済み。
3.米原7:47発→尼崎9:20着 新快速3223M・網干行き モハ222-3041
大阪地区に路線記号が導入されてから1年が経過し、順次車両側の路線記号も対応が進んでいる。この新快速は今のところ、車両側に反映がされていないようだ。
もも「そんなぐらいさ…。」
めぐ「どこかで見た感じしたんだけど…。」
とりあえず、余裕を持って座ることのできた旅行班。発車すると…。
めぐ「桜の画とか欲しくない?」
さく「まあね…、せっかくこういう日なんだし。」
手始めに、付近にあるエレベーター工場と試験塔。
そして4月上旬らしく、桜の木をできるだけ写真にしておきたい。
なぎ「…いいぐらいか?」
めぐ「…ちょっと写ったし、他もね。」
(続きはmstomato3_1にて!)
ここまでとしておきましょう。1月の北海道旅行は実質完成しており、後は挿絵と公開時期でしょう。
2016年4月9日(土)午前5時31分 愛知県あま市・木田駅

かつて、春になると桜が咲き誇っていた木田駅。スロープ工事や枯れ枝などの問題があって、いつしか姿を消してしまった。そして時代の流れと共に変化し、この度駅番号が割り振られた名鉄の駅。
めぐ「皆さんおはようございます。今日1日、18きっぷを使って出かけましょうかと…。」

0.木田5:33発→名鉄名古屋5:53着 普通・伊奈行き 6462
と言うことで、お馴染みなようなそうでないような朝1本目。全日とも6000系列の4両となったのは、いつの話だったか…。

栄生は工事が終わったのか、やはり新しい装いとなったようだ。発車表のLEDだけでなく、待合所も新しくなっており印象が変わっている。

ではいつものように、広小路口にて…。
もも「例のモノを見せろ~。」
さく「例のモノを見せろ~。」
なぎ「…だってさ。」
今回の目的地を単純に2つ言うと、関西空港と和歌山のどこか。これまで沖縄を除く46都道府県を回ってきたものの、2010年以降足を踏み入れなかった山形と和歌山。旅行日数や東西のバランスを考え、この決定となった。
もも「…じゃあ、さっさと始めちゃってさ。」
さく「…いいの?」

西に向かうとき、いつもこの6番ホームから始まってきた。今のところ、JR東海は駅番号や路線記号といったものを導入していない。他はと言うと、近鉄は名鉄に先駆けて駅番号が導入されている。
1.名古屋6:10発→大垣6:49着 普通3303F・大垣行き クモハ311-5
かつて東京から乗り入れてきた373系にかわって、2009年から岡崎始発となり311系となった列車。適当に座ったところで、ひとまず寝ておこうか…。
さく「それがいいよ、どうせ夜寝てないんだし。」
思えばこの列車、時期によっては313系1100番台が用いられたこともあった。休日のみ、かつての373系さながらに後部編成を切り離したこともあった。現在は全日とも311系で、大垣まで8両で運転される。
程よく寝たところで、米原へは大垣で乗り換えとなるのも変わりない。40分ほどで着くのは、旧来の1番線ではなく5番線。幸田,三ヶ根,蒲郡,三河三谷,三河大塚,愛知御津,西小坂井,豊橋,浜松,静岡,富士,沼津,三島,熱海,小田原,大船,横浜,品川,東京やそれ以遠から乗り継いできた客はもういないはず…。

しかし実際は乗り継ぎ時間が3分に満たなくなり、米原まで乗る列車が2番線から発車するのは変わらない。夜行からの乗継だった、当時のような"大垣奪取"。

2.大垣6:52発→米原7:27着 普通3207F・米原行き クモハ313-313
そしてこのダイヤ改正で、313系300番台を2本つないだ4両となった乗り継ぎ先。減車によって明らかに座席が少なくなり、むしろ争いを過激化させているようなもの。
もも「それで1人だけ座ってるんだもの…。」
座りたいから座ったとしても、座れるのは通路側。これでは車窓の桜が美しくとも、撮影は難しい。立ち席を選んでも、立ち客が同じく多ければ下手な行動は取れない。

結局は35分もの間、座れれば眠気に誘われるまま寝ることぐらいしかすることはない。これまでも先へ急ぐならば米原で乗り換えとなっていたものの、今回のダイヤ改正で乗り換えが必然的となった。
さく「…もうアレなんだし、直通でいいじゃん。」

さて、駅にあるこの時計。サイズも大きく、何より蛍光色が採用されていて気になっていたもの。JR東海ではコーポレートカラーからかオレンジ色が採用されており、JR東日本やJR西日本では黄緑色となっていることが多い。最初に導入されたのはいつごろ、どのような経緯によるものだろうか?

隣の加古川行きは221系の6両で、よく考えればかつて大垣から乗り入れた列車である。曲がりなりにも両数が多く、大垣夜行定期運用時においても階段位置からして後方はかなり空いていたものであった。そしてどういうわけか223系が使われた時期もあり、ごく稀に6000番台化される前の225系も使われていた。こちらに乗る場合は近江八幡で抜かれることとなる。
めぐ「次、遠く行くわけじゃないし…。12両どこでもいいんだよね。」
なぎ「そんなぐらいは大体わかる。225狙うんだろ、また。」

米原の東口は開発途上なのか、空地が目立っている。付近の桜はちょうど満開か、散り始めるかといったところ…。

これから乗る新快速が入ってきた。とりあえず、前方の8両は223系。そして後方のパンタグラフは、菱型というか下枠交差型というか。

ということで、後方4両も223系。座席数は225系共々変わりなく、座席そのものも2000番台初期車両まではむしろ造りがよかったりする。モケットは225系のものに交換が進み、この車両は交換済み。

3.米原7:47発→尼崎9:20着 新快速3223M・網干行き モハ222-3041
大阪地区に路線記号が導入されてから1年が経過し、順次車両側の路線記号も対応が進んでいる。この新快速は今のところ、車両側に反映がされていないようだ。
もも「そんなぐらいさ…。」
めぐ「どこかで見た感じしたんだけど…。」
とりあえず、余裕を持って座ることのできた旅行班。発車すると…。
めぐ「桜の画とか欲しくない?」
さく「まあね…、せっかくこういう日なんだし。」

手始めに、付近にあるエレベーター工場と試験塔。

そして4月上旬らしく、桜の木をできるだけ写真にしておきたい。
なぎ「…いいぐらいか?」
めぐ「…ちょっと写ったし、他もね。」
(続きはmstomato3_1にて!)
ここまでとしておきましょう。1月の北海道旅行は実質完成しており、後は挿絵と公開時期でしょう。