3月末の閉館を控えた交通科学博物館。今回も9月に撮影した写真とともの見ていただきましょう。
EF52の1号機も鉄道記念物に指定されている。戦前に見られた、前面にデッキらしきスペースのある電気機関車。昔はなぜか魅力的に見えた。JR東海が最近導入したレール輸送車"キヤ97"も前面に同様のものがあるが、キヤ95に似た0番台はどうも違和感がある。
サンフランシスコ名物のケーブルカーは、見たところは古き良き日本の路面電車と似ている。坂の多いサンフランシスコでは重宝するだろう。もっとも、旅行班の海外進出は夢の話。旅費そのものだけでなく、語学学習などの諸費用もかさむはず。
国鉄の東京行き高速バス『ドリーム号』。初期のバス車両はこれまた見た目といいどうも好きになれず…。
ももか「何、バス好きじゃなかったわけ?」
めぐみ「今のバスと比べればってこと。そもそもバスって寝れないものだし、乗るなら昼に乗りたいのよ。」
ももか「単に景色が見たいんじゃなくって?」
EF52を反対側から。
めぐみ「自分で上がるなんてないけどね。…大事になってもいけないし。」
なぎさ「それあったな…。」
国鉄バスのエンブレム。さらに鉄道模型ジオラマもあるが、写真写りなどの都合でその画像はない。このあたりで外に出てみるも、今日は雨模様。
鉄道車輪のいろいろ。
7100型蒸気機関車『義経』号はガラス仕切りの中。鉄道黎明期の機関車はイギリスからの輸入品が多かったのだが、これはアメリカ製品であった。『義経』号も鉄道記念物に指定されており、このような厳重な保管体制も納得だろうか。
腕木式信号機。
キハ81の3とC62の26号機。そしてD51の2号機。キハ81はその見た目の重厚さとは対照的に、技術的都合かエンジンの出力が高くなく故障も多かった。分割や併合が考慮されておらず、編成面でも柔軟性に欠けた。C62は東海道本線の全線が電化開業する前に特急列車をけん引したこともあり、蒸気機関車の中でも重厚感とともに風格を漂わせる存在。日本を代表する蒸気機関車であるD51だが、初期型は屋根上の特徴的な形状から『ナメクジ型』と呼ばれる。
もうひとつ腕木式信号機。
ナシ20は、充実した設備から『走るホテル』と呼ばれた20系客車の食堂車。平日はその車内が売店兼休憩所、休日は実際にレストランとして営業を行っている。今日は昼食を食べてきたこともあってか、中に入らず外から見るだけに終わる。表記されている『南シナ』は当時存在した品川運転所のこと。
230型蒸気機関車の後ろ姿とマロネフ59。230型は日本で初めて本格的に量産された蒸気機関車であり、これもイギリス製品がベースとなったという。
京都を"歴史的仮名遣い"で書くと"きやうと"。
230型蒸気機関車を正面から携帯カメラで。233号機も鉄道記念物の指定を受けている。
国内で唯一現存する80系電車。『リニア・鉄道館』に展示されている52系が最後に走っていたのが飯田線であり80系も最後の活躍をみせたのが飯田線であったことから、実質的にも52系の後継車両といっても過言ではないはず。
初期車の車内は木製のボックスシートで、現在の視点で見ると背もたれのモケットが足りていないのがわかる。角度もほぼ垂直で当時としては上質だったのだろうが、今ではとても長距離乗車するものとは思えない。
(参考:Wikipedia、交通科学博物館公式ページなど。一先ずおわり)
"EF52のデッキ部分"にはもちろん上がっていませんが、皆様くれぐれも上がらないように。上がると炎上します。
(想像図)
それとヘッドマーク関連だが『つるぎ』が北陸新幹線、"富山~金沢シャトル便"の列車名になるそうで。『サンダーバード』はどうなるのだろうか?富山行きを表に出そうとするのならば、『リレーつるぎ』を名乗るのも1つの案かもしれない。そうすると金沢止まりや和倉温泉行き(新幹線開業後も存続の意向らしい)は『雷鳥』とした方がいいのだろうか…?湖西線からの迂回扱いは継続で問題なし。しかしどうも残るのは1往復で残りは金沢発着となるらしいようで…、まさか『能登』?それ以上に『しらさぎ』の動向は気になるところではあるが、金沢までは問題ないはず。(以上)
2013年9月7日(土)午後3時21分 大阪府・交通科学博物館

EF52の1号機も鉄道記念物に指定されている。戦前に見られた、前面にデッキらしきスペースのある電気機関車。昔はなぜか魅力的に見えた。JR東海が最近導入したレール輸送車"キヤ97"も前面に同様のものがあるが、キヤ95に似た0番台はどうも違和感がある。

サンフランシスコ名物のケーブルカーは、見たところは古き良き日本の路面電車と似ている。坂の多いサンフランシスコでは重宝するだろう。もっとも、旅行班の海外進出は夢の話。旅費そのものだけでなく、語学学習などの諸費用もかさむはず。

国鉄の東京行き高速バス『ドリーム号』。初期のバス車両はこれまた見た目といいどうも好きになれず…。
ももか「何、バス好きじゃなかったわけ?」
めぐみ「今のバスと比べればってこと。そもそもバスって寝れないものだし、乗るなら昼に乗りたいのよ。」
ももか「単に景色が見たいんじゃなくって?」

EF52を反対側から。
めぐみ「自分で上がるなんてないけどね。…大事になってもいけないし。」
なぎさ「それあったな…。」

国鉄バスのエンブレム。さらに鉄道模型ジオラマもあるが、写真写りなどの都合でその画像はない。このあたりで外に出てみるも、今日は雨模様。

鉄道車輪のいろいろ。

7100型蒸気機関車『義経』号はガラス仕切りの中。鉄道黎明期の機関車はイギリスからの輸入品が多かったのだが、これはアメリカ製品であった。『義経』号も鉄道記念物に指定されており、このような厳重な保管体制も納得だろうか。

腕木式信号機。

キハ81の3とC62の26号機。そしてD51の2号機。キハ81はその見た目の重厚さとは対照的に、技術的都合かエンジンの出力が高くなく故障も多かった。分割や併合が考慮されておらず、編成面でも柔軟性に欠けた。C62は東海道本線の全線が電化開業する前に特急列車をけん引したこともあり、蒸気機関車の中でも重厚感とともに風格を漂わせる存在。日本を代表する蒸気機関車であるD51だが、初期型は屋根上の特徴的な形状から『ナメクジ型』と呼ばれる。

もうひとつ腕木式信号機。

ナシ20は、充実した設備から『走るホテル』と呼ばれた20系客車の食堂車。平日はその車内が売店兼休憩所、休日は実際にレストランとして営業を行っている。今日は昼食を食べてきたこともあってか、中に入らず外から見るだけに終わる。表記されている『南シナ』は当時存在した品川運転所のこと。

230型蒸気機関車の後ろ姿とマロネフ59。230型は日本で初めて本格的に量産された蒸気機関車であり、これもイギリス製品がベースとなったという。

京都を"歴史的仮名遣い"で書くと"きやうと"。

230型蒸気機関車を正面から携帯カメラで。233号機も鉄道記念物の指定を受けている。

国内で唯一現存する80系電車。『リニア・鉄道館』に展示されている52系が最後に走っていたのが飯田線であり80系も最後の活躍をみせたのが飯田線であったことから、実質的にも52系の後継車両といっても過言ではないはず。

初期車の車内は木製のボックスシートで、現在の視点で見ると背もたれのモケットが足りていないのがわかる。角度もほぼ垂直で当時としては上質だったのだろうが、今ではとても長距離乗車するものとは思えない。
(参考:Wikipedia、交通科学博物館公式ページなど。一先ずおわり)
"EF52のデッキ部分"にはもちろん上がっていませんが、皆様くれぐれも上がらないように。上がると炎上します。

それとヘッドマーク関連だが『つるぎ』が北陸新幹線、"富山~金沢シャトル便"の列車名になるそうで。『サンダーバード』はどうなるのだろうか?富山行きを表に出そうとするのならば、『リレーつるぎ』を名乗るのも1つの案かもしれない。そうすると金沢止まりや和倉温泉行き(新幹線開業後も存続の意向らしい)は『雷鳥』とした方がいいのだろうか…?湖西線からの迂回扱いは継続で問題なし。しかしどうも残るのは1往復で残りは金沢発着となるらしいようで…、まさか『能登』?それ以上に『しらさぎ』の動向は気になるところではあるが、金沢までは問題ないはず。(以上)