BSDという講座の中で
「ミルクレープ劇場」
という言葉が生み出された
受講生の方が絵にしてくれたのがわかりやすいから
おかりします
絵の如くなんだけど
このミルクレープ劇場をしてい無い人は誰一人いなくて
(目覚めた人はもう止めることができるらしい)
しかもこの劇場が悪いどころか
人生この地球の楽しみ方の1つなんだと
それはミルクレープのように
とっても甘くて美味しくてやめられない
頭ではこんなのもういい!!
こんな世界はもう創造しない!
そう言うけれど
深いところでは
これを楽しんでる自分がいるから
止められ無い
例えば
私のミルクレープ劇場で言えば
30代、まじめに一生懸命働いたし
人に対しても誠実に関わってるのに
起きる現実は私の望まないことばかり
結婚する直前に振られる
仕事もうまくいかない
姉が倒れて家はめちゃくちゃ
会社は私にばかりいろいろ押し付けてくる
こんなに真面目に生きてるのに何でなの?
隣のあの人は
お気楽に、しかもいいかげんなことばかりしてるのに
私よりよっぽど幸せそう
私が欲しい当たり前の幸せを手にしてる
私の何がいけないのーーー
とまー
簡単に書いたけど
これをもっと細かく細かく
それはそれは何層にも降り重ねて
丁寧にミルクレープを創ってたわけです
私なんて(無価値感)
私があの時あんなことしたから(罪悪感)
何で私ばかり(自己憐憫)
そして今も
ふと気づけばそれはミルクレープ劇場だと
思うことも多々
ただこの言葉が入ってきてから
「劇場」
なんだと
本当にただのスクリーンに映し出してる劇場
(これまた講座生のKIEKONOさんの絵が分かりやすいので
お借りします!毎回天才的なこの才能!!)
そう思うとどこか1歩引いて見れる自分を発見
そして
自分のミルクレープは知らず知らずに気づかないこともあるけど
他人のミルクレープはよくわかる
講座の中でも
誰かが話している時に
「あ、今この人ミルクレープだなー」
で、そうやって他人を見ながら
やっぱり私たちにとって
この遊びほど楽しいものはないんだと
矛盾するようだけど
そう認めざるを得ない
だからやりきったらいい
思い切りミルクレープ劇場を堪能したらいい
しーちゃん(講師)曰く
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ミルクレープは作ったら披露するとこまでやらないと
やめられない
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めちゃ分かる気がした
友達に話す
身近な人に話す
ブログに書く
ノートに書く
ライブ配信で話す
何でもいいんだけど
作ったミルクレープは披露して初めて
次の段階にいける
あなたの今作ってるミルクレープは
どんなミルクレープですか?
講座の中で
ミルクレープ劇場発表会まで先日開催されてました
で、ミルクレープだと分かって聞くのと
それを知らない状態で聞くのと
エネルギーが全く違う
だって
ミルクレープって同情しやすいし
「大変だったね、辛かったね、苦労したね・・・」
的なね
どうしても重くなる
でも同じ内容なのに
ミルクレープだって分かって聞いてると
「うけるー、マジで最高のミルクレープだね、それやばいね」
何故か全てが笑いになる
話してる本人も何故か
辛いはずなのに軽いし何ならおもしろおかしく話せちゃう
全て幻
この世界は全てが幻
その幻を創りだす創造主が自分
それを改めて実感できる