3ヶ月ぶりのブログなのに

まだ私のブログを楽しみにしてくれる人が

いてくれることに

 

正直驚いたよw

 

 

書いておきながら

もう、自分だけの記録のために

ぐらいの思いでした

 

 

 

LINE@やインスタに

「続き楽しみにしています」

 

って何人もの人からメッセージをもらって

本当にありがとうございますえーんえーん

 

 

 

 

正直ね、どうやって何から書いていったら

いいのか今もわからないまま

進めてますw

 

 

 

どこまで詳細を書くべきか

 

 

 

どういう伝え方が一番

真っ直ぐに伝わるのか

 

 

 

きっと書いていく中で模索しながらに

なるかな・・・

 

 

 

3月に渡米する前も直後も

私の気持ちはビックリするほど

穏やかで、こんな世の中に渡米するのに

本当に不安や恐怖がほぼなかった

それが自分でも驚くほど不思議だったのね

 

 

 

理由はわからないけどそんな状態

 

 

 

とてもエキサイティングな状態とも違って

ただ、淡々としてたんだよね

 

 

 

唯一不安だったのが

猫のARのことぐらいでw

 

 

自分のこれからの人生に対して

不安も恐れもそして逆に高揚感もなかった

 

 

仕事も家もそして周りにいてくれる人も

全て手放して1人

しかも年齢は43歳だよ!!

 

語学もほぼできない

そんな状態なのにこの動揺していない感覚が

本当に不思議で不思議で

 

私どうしたのかな?

 

実はそんなことを感じてた

 

 

今だからわかるのは

 

 

 

 

私はこの国に何かをするために

何者かになるために来たのではなくて

 

「本当の自分を深くまた思い出すため」

 

たったそれだけのために

 

来なければいけなかった

 

それだけだった

 

「流れ」

 

だっただけ

 

だから

 

ここでこうなってやる!!

この国でこんな経験をするぞ!

 

みたいな確かに

そういうある意味パワーになるような

目的は無かった

 

 

それって結構、海外出てる人からしてみたら

それだけで私は変わり者だと思うあせる

 

 

 

 

 

2016年独立して

それまで会社員としての生き方しかしらず

 

「旅して暮らせたらさいこー音譜

 

そんな漠然とした望みがあった

 

 

 

でも同時に

会社員しか知らなかったからこそ

 

「そんなの無理」

「お金があればできるかもね」

「お金持ちと結婚でもできれば話は別」

 

だと思ってた

 

 

だけど

気づけばその1年後2017年

 

旅して暮らすことができてた

 

 

 

私の仕事はどこでもできるカタチに2017年

なっていて

 

そして旅をすることを許可できる

「自分」

にもなってた

 

 

 

それだけだった

 

「旅して働く」

を体験したからこそ出てきた

次なる望みが

 

「海外に住んでみたい」

だった

 

でもこの頃はまだ自分で認識できるかできないかぐらい

その声は小さくて

 

 

何だか許容できてなかったのね

 

 

そこからまた次の年に

アメリカ(LA)にフト思いたって

旅したことがきっかけで

 

「i」という商品が生まれ

 

そしてアメリカという国を何度も訪れるうちに

 

あの小さかった声が

ちゃんとしっかり声として認識できるようになって

 

 

私は

 

「海外じゃなくて、この国に住んでみたい」

 

そう望むようになった

 

と同時に

 

・もっと若かったらな

・今更どうやってアメリカで暮らせるの?

・いやいやどう考えても無理でしょ

 

のエゴの声笑い泣き

 

 

 

ただこの頃には

心の仕組みや人生の法則を

実践して体感もずいぶんできた頃だったから

 

 

必ず実現すると信じられてた

 

ただ

100%許可はできていなかった

ことに気づくわけですよ

 

それが2019年また1年後

 

「あれ?私、なんでアメリカに住んでみるっていう望みだけ

”いつか”

って前置きをつけてるんだろう?」

 

こんな単純な気づきでした

 

そう、

「いつか」と自分で制限をずっと付けてたのよ

無意識に

 

いつかなんていつでもないから

実現するわけもなく

 

自分で自分の望みの妨害をしてたことに気づいて

 

ある時に

 

「いつか」

 

という制限を外す!

と決めた

 

ある意味、本気で覚悟を決めたって時ね

 

 

 

このことは当時のオンラインサロンでも

リアルにシェアしてて

 

そして、やっぱり自分で覚悟を決めた時に

起きたのが

 

 

アメリカにいる友人からの

「なおちゃんがやる気があるならアメリカに来て

一緒に働かない?」

 

というまさかのオファーでした

 

 

・VISAもサポートする

 

何よりいきなり誰もいないところに行くのではなくて

友人がいる

頼れる人がいるってことがハードルを下げてくれた

 

そしてもう1つ

レストランビジネスでありながら

マネージャーとして

ということで

 

人をまた育てたり、関われる仕事ができる

 

私にとって

行かない理由はないぐらい即決でOKしたわけです

 

結局2020年に行く予定がコロナにより

1年延期になり

 

それでも

このコロナ禍にVISAが1発でスムーズに取れたこと

渡航も特に問題なくできたこと

 

もちろん過程でそれぞれ

大変なことはもちろんあったよ

(ブログにも書いてきたよね)

 

 

それでもね、アメリカに来て

いろんな人の話を聞くと

 

こんなにスムーズにVISAが降りること

しかも、取れた年数も含め

 

あり得ない、凄いことなんだって

わかってきて

 

 

だとしたら私って何がしたくて

ここにいるんだ?

 

そんな思いも徐々に出て来た

 

===

 

ただ住んでみたい

 

===

 

それだけじゃいつしか

「ダメ」

って思ってたんだよねガーン

 

 

 

だって考えてみて

 

聞いたことある?

 

駐在の人とかさー

その家族とかならまだ分かるよ

(会社にそういう制度があってとかね)

 

 

 

私は駐在という立場でも無いわけよ

 

 

 

ビザサポートはあっても

渡航費や全ての費用は実費で

準備を含め渡米してからも

全て1人でやらないといけなかった

 

 

 

 

現地に何十年と住む友人

(やっと友達もできたドキドキ

にも、私が渡米してからの数ヶ月の話をすると

 

驚愕するびっくり

 

私の中では、しょうがない

当たり前

やらなきゃ生きてけないし

1人なんだから自分でやるしかない

 

 

そう思ってやってきたけど

 

本当に大変でねえーん

 

 

 

大変と一言で言えないぐらい大変だった

これは海外出た人にしか決して分からない大変さなんだよね

 

だから驚愕された(笑)

 

ちなみにHTLの海外部のみんなも

同じ反応だった

 

 

そこで初めて私は

 

よくやったんだなーーと心底思えたけど

 

そこでまた気づくわけよ

 

 

何でこんな1人でやらねば!!

1人で頑張ることが当たり前

って生き方しかしてないんだ?

 

ってね(笑)

 

しかも、何でこうやって人から言われないと

自分がやることは

 

いつもいつも

「当たり前」

になっちゃうんだ?

 

何でもっと自分を褒めたり、認めたりできないんだ?

 

 

私は一体この数年間

人生の舵取りは自分でする

 

という在り方のもと

 

「自己受容」が根本でそれこそ全て

 

ぐらいのことを伝え続けてきたのに

 

その私自身が何でまだ

こんなに自分に対して厳しいんだろう???

 

 

何かね

やればやるほど

そして、その1つ1つを成し遂げて

周りがそうやって驚愕したり

すごいよ!って言ってくれるほど

 

 

逆に

自分への信頼がどんどん

無くなるような体感がこの頃から起きてきて

 

 

すごく怖かった

 

 

 

自分の人生、自分の全てが嫌になった

あの頃の感覚にまた戻りそう

 

 

 

来たいと願って来ることができたアメリカ

そこで暮らすことを体験できている現実

 

 

起きてる出来事だけみれば

結果が出てるとも言えるでしょ?

 

 

でも

内側はどんどん闇に覆われていくようで・・・

 

 

私は何か大切なことに気づかないといけない

 

でもそれが全く分からない

 

 

そんな葛藤がしばらく続いたわけです

 

 

続きはまた次回

 

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