■ このブログについて ■

 

はじめまして、東尚子(Azuma Naoko)のブログ訪問ありがとうございます。

30代で迎えた長い人生どん底期・・・

はじめて自分と向き合うことをその時に知ったのがきっかけで

心理学・量子力学・脳科学など人生に本当に大切なもの

を日常の中で実験的に実践し私自身の人生(生き方)を変えた経験から

確立した7つのメソッドをベースに2019年に
「i 哲学」へと進化させる!!

「人生の舵取りをする女性」を増やすべく

40歳を目の前にキャリアも全て捨て

0から自分ビジネスをスタート!

「意識改革、在り方改革」からの自分革命!!!

それを伝える実践的、泥臭いほどリアルを綴るブログです。

現在は i ワタシ革命オンラインサロン(不定期募集)開催と
個人セッションが実際に直接会えるメニューとなっています。

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ひし形【保存版】メンターコーチとは1・2

こちらを先にご覧頂ければと思います。

 

 

過去の自分から応援される

 

 

 

 

何度かこの仕事を始めてから

 

そんなことがあった

 

 

1週間ほど前にTVで

 

 

 

古いガラケーを復活させて思わぬデータが復活して

涙したり、感動したり、また思い出に浸ったり・・・

 

そんなサービスが今話題です!

的な話を目にして

 

 

ガラケーなんていつだ??

私はもう無いしな・・・

 

と思って見てたんです

 

 

その数日後にフト急にお掃除がしたくなって

少しずつ大掃除をスタートして、ストックを整理してたら

 

 

まさか!!!

 

 

全く忘れてたガラケーが1台だけ出てきた

 

 

 

 

 

 

うっそーーーと思って

 

 

 

あのTVを思い出して

「私もこの携帯復活させてみたい!!」

 

 

 

そう思ってネットで調べたら

 

ドコモさんで今でもやってると分かった

(当時私もドコモユーザーだったので)

 

 

 

 

これは!と思って

翌日ショップに持っていき復活させてみた

 

 

 

 

いつの携帯だったかも不明のその1台

 

 

 

 

開いたら

2009年〜2010年4月まで使ってたよう

(メール履歴だとね)

 

 

ちょうど10年前の携帯

 

 

 

 

 

中に入っていた写真を見ると

ほんの数枚しか残ってなくて

(きっと変える時に移しちゃったんでしょうね)

 

 

 

 

 

残ってた数枚は

2人の友人の結婚式の写真そして私が大切に飼っていたウサギのララの写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい・・・

 

 

 

 

ララは2010年5月に8年生きて亡くなりました

 

 

あとちょっと笑えたのが

ビヨンセのコンサート

 

 

 

 

 

 

この写真を見て、ビヨンセだ!!

ってすぐに分かったけど

 

 

なぜか

 

コンサートに行った記憶が全く無い・・・・ガーンガーン

 

 

 

 

 

 

 

本当に全く無くて

誰と行ったのかも、どこに行ったのかも記憶にない

 

 

 

 

 

こんな大好きな人のコンサートなのに記憶に無いなんて・・

 

 

 

 

後で、

一緒に行ったのは友人だって分かったけど

友人から言われてねw

 

 

 

 

 

 

それがなぜだったのか、残っていたメールを

読んでいて思い出した

 

辛いことがありすぎた時でとてもじゃないけど

キャパオーバーだったみたいね

 

 

 

 

 

このブログに書いてきた

 

30代どん底期

 

ってまさに、この2009年に大きな出来事があったことも1つ

 

 

 

結婚がダメになった

 

 

 

人生で初めて、結婚に向けて

お互いの両親にも挨拶をして

結婚指輪を買う日にちまで決まっていて

一緒に住む場所や

 

そうやって進んでいた最中突然の

 

別れでした

 

 

そうだ!!

 

この時のこと今でもあの時、結婚しなくてよかったと心の底から思えるけど

 

 

 

 

でも、

あの時、確かに私は言いようのない絶望とか

悲しみとか

 

自分に対しての否定、そして相手に対しての憎しみ

 

人生で味わったことのないような感覚になってた

 

 

 

 

 

さらに

仕事では、この直後に退職届を出すほど

最悪な状態だった

 

 

 

結婚もダメ、仕事もダメ、何もかも私はダメなんだって

 

何も無くなっていく得体も知れない恐怖

 

 

それなのに忘れてた

 

じゃない、

 

 

 

これすっかりまだ蓋してることを思い出した

これに蓋したことでもっともっと苦しいことが

起き続けて・・・・

 

 

 

 

 

当時、友人とやりとりしてるメールを

いくつか読みながら

 

 

 

そこに書いてある私のメールは

すべて、どれもこれも

 

その感情や無価値観を出さずに

 

===

 

しょうがないから、前向きに生きていきます

 

誰が悪いでもないから、私はもっと自分を成長させるように頑張る

 

===

絶対そんなこと思ってないのに

 

そんな言葉が綴られてた

 

 

もちろん、悲しいとか

まだまだ立ち直れない

 

ということも書いてあったけど

 

 

 

 

 

ドロドロした自分の中の怒りを出すことは

一切なかった

 

 

 

 

 

そっか

 

この時の私はそうだったと

 

自己受容なんて知らなくて

怒っても仕方ない

怒れば自分が惨めになるだけ、いいことなんてない

そう思ってた頃だった

 

 

メールを見て、改めて涙が止まらなくなって・・・

 

 

あの時の自分の気持ちを

今の自分が全力で受け止めて、吐き出して・・・

 

 

 

 

 

 

きっとやっと

私はこの出来事をこの数日で消化しつつあります

 

 

まだまだ、最後に忘れてた自分の閉じ込めた思い

 

 

 

 

メールには数件の姉とのメールのやりとりも残されてて

 

 

 

たわいもないやりとり

 

 

 

ララのこと

今日ご飯は家で食べるの?

 

という姉のメール

 

 

 

当時、姉は最初に倒れた後に仕事に復帰して

 

そしてその職場でまた体調を崩した

 

 

 

だから実家に戻って

家で休んでいたので家のことを姉がしていた

 

 

 

 

姉とメール

 

もともと、会話もメールも一緒にでかけたりもない姉妹

 

それでも、その数件のメールで

 

 

 

 

今は会話もできない姉とのメールができてた日々を

なんだか恋しくて恋しくてただただ泣けた

 

 

 

 

 

 

姉のことで泣くことはもうないって思ってた

 

 

 

 

この10年で泣くことも怒りも絶望も

自分に対する責める気持ちも

ありとあらゆる感情を姉に対しては出し切ってきて

涙ももう何があっても出ないって思ってた

 

 

 

 

 

それが久々に

やっぱり、涙は溢れて止まらない

 

 

だけど、前の悲しい涙というより

ただただ恋しいな・・・というそこに後悔とか未来への不安とか絶望とかじゃない

今の純粋な私の感じている涙

 

 

 

 

 

そしたら記憶が繋がっていく

 

思い出した記憶

 

 

 

 

 

結婚がダメになった時、母にだけ

食事の準備をする台所にいる母の横に立って

 

必死に泣かないように、冷静を装って

 

 

==

別れたから、結婚しないことになったから

ごめんね期待させて

==

 

そう言った時

 

 

 

 

母は

「しょうがないよ。そうなんだね。」

 

 

 

 

ショックだったはずなのにそんなそぶりもせず

私同様冷静を装って何も言わなかった

 

 

でもその後に母から

 

 

彼が来た時に、お父さんもお母さんも彼のこといい人で

安心だって言ったら、お姉ちゃんだけはね

 

あの人はナオちゃんには合わないと思うな

ナオちゃんはあの人じゃない気がするけど・・・・

 

そう言ってたんだよね

 

お姉ちゃんは、やっぱりそういうのよく分かってるよね。

お姉ちゃんが正しかったのかもね

 

 

そう聞かされて必死にこらえていた涙が溢れた

 

 

保育士から外資系ブランドの販売の仕事に転職すると言う時もほとんどの人が

「無理だよ」「反対」「保母さん合ってるのに、もったいない」

 

そう言ったけど

 

姉は違った

 

 

 

 

その時も

 

ナオちゃんに今までで一番向いてる仕事だと思う絶対受かるから頑張って

 

そう言ってくれた

 

 

 

 

いつもいつも

 

姉は鋭かった

 

 

 

 

仲良しではなくても、会話もろくにしない姉妹でも

 

姉はいつでも私の姉だった

 

 

今私が思ってること

今私が悩んでること

今私が苦しんでること

 

そういうのを察知するのはいつも姉だった

 

 

そんな記憶が怒涛のように思い出されて

 

 

 

 

 

ふと

今のこの仕事をする私を姉は何って言ってくれるかな??

 

 

 

 

 

すごく聞いてみたい

 

無性にそう思って

 

今は叶わないけど、いつか聞ける日まで

 

やっぱり私は続けようと思えた

 

 

姉はきっと、応援してくれるはず

 

 

そう思うんだよね

 

 

 

 

 

この活動をした時に私は1つ夢があって

 

 

 

 

姉が元気になったら一緒に仕事をしたい

 

 

姉の経験してきたことの全てが多くの人を導くはず

 

 

 

そして、姉の全てを

「本」として出版したらいい

 

 

 

 

それはきっと

今この時代の悩み、体調を崩し、自分を壊してしまいそうに

なる人の光になると

 

 

あらゆる医者が手放して分からないと言われる姉が

復活することがあるならば・・・・

 

 

 

きっとそれは多くの人の大きな光になる

 

 

 

 

 

でも

目の前の現実とその夢との大きな隔たりの中で

 

私はいつしか、その望みを無かったことにしてた

 

 

 

でも

何年かかっても、何十年かかっても

 

それは私が叶えたい望みの1つだと

 

改めて決めた

 

 

 

 

 

 

それまで、私は私がやるべきこと

 

私のできることに夢中になっていよう

 

 

 

 

 

たった1台のガラケー

 

 

偶然にもちょうど10年前

 

 

 

 

そして、ある意味このお仕事のきっかけにもなった1年

 

 

 

 

誰よりも

自己受容からかけはなれ、そして世間の正しさで

鎧をまとって生きていた私を思い出した

 

 

書かれているメールを今読み返せば

 

 

私は他人の船に乗りまくっていたんだなと

 

別れた彼の船

母の船

 

 

メールからそれが分かって

自立して、仕事の役職、肩書きだけは立派でしっかりしている人だと思われていたし、自分もそうだと思って

肩肘張って、一生懸命生きていたけど

 

 

自律できていない自分

他人の船に乗って、人の劇場に入り込んで

そして自分の人生を生きていなかったあの頃

 

 

でも

それだって、あの時は

そうするしかなかった、それしか知らなかった

 

 

そして、

だからこそ、今がある

 

 

 

メールを閉じた時

最初携帯を見た時には気にも止めていなかったのに

 

 

 

開いた待ち受け画面が

 

この画像だった

 

 

 

 

 

 

一艘の船の写真

 

 

まさに

 

===

 

人生の舵取り!!!

 

===

 

すぐにそう感じた

 

 

 

10年前の私から
今の私へのメッセージ
 
 
===
 
人生の舵取りは自分でする!
 
===
 
ありがとう。
一番の応援者は自分
 
 
 
 
あの頃、人生で一番自分を否定してた頃
 
 
 
 
結婚がダメになった理由も私じゃどうしようもできないことで
私の存在自体を否定されたように私が受け取った
 
 
ただそう受け取った私がいただけだった
 
 
 
私が自分の船をちゃんと舵取りしていたら
そんな風には受け取らないのに
 
 
 
 
今なら分かる
 
だから、きっとこの仕事をするのは
10年前から決まっていたのかもしれない
 
 
 
 
それでいい!!
 
この携帯をこのタイミングで見つけたのは
 
そんな風に応援されてるように感じた
 
 
 
 
 
全てを失うって絶望してたけど
改めて、携帯の中には10年経っても今も私を支えてくれる
友人がちゃんとそこにいて
 
私は、大切なものは何も失っていないことも
 
失ってしまったと思ったあの時も
何も失っていなかった
 
 
大切な友人に、大切な家族に感謝が溢れた
 
 
 
結婚しようとした彼と出会った時に私は2年付き合っていた人がいて
 
 
 
その人は定職もなくて
バツ1で子供がいて
遠距離で
 
 
 
そんな条件だけで、私は
 
彼と別れて
 
「結婚したい!」と言ってくれた別の男性を選んで
 
 
・仕事を辞めて好きにしていいと言われた
・すぐに結婚したいと言ってくれる
・親も安心させられる
・自分も嫌なことから解放される
 
そういう条件だけで別の人を選んだ、彼のことをちゃんと見てなかった
 
そして2年付き合った彼には正直に伝えずに彼のせいにして別れた
 
 
でもその携帯の中には
 
誰よりも私を思ってくれてたその彼の言葉が溢れていて
 
 
 
あの時はそれすら受け取れなかった
 
 
 
一番大切な想いすら受け取れず
外側ばかり気にして
彼を否定し続けた私
 
 
その彼と続けていればよかったと、今でも思わないけど
 
 
それでも
深く私を理解して愛してくれた人がいたことも
無かったことにしてたことに・・・
 
 
沢山あった私に「ある」ものにはこの時は目を向けられなかった
 
 
全ては
外側の意識と自分の人生を生きられていなかった私
 
 
 
 
「人生の舵取りを自分でする」
 
改めてこの大切さと、できていない時の怖さを思った
 
 
 
 
そんな1つ1つの忘れてしまってた
記憶と感情が1台の携帯で怒涛のように溢れて
 
 
この一連の流れ
また忘れたくなくて
 
私の備忘録
 
ありがとうワタシドキドキ
ありがとう大切な人たちドキドキ