今という場所に意識を持った時に
例えば
「髪を切りたいなーー」
とふと思う。
そのために
・美容院を予約する
・美容院を探す
・美容院に行く
・素敵な髪型を探すためにカタログをチェックする、ネットで検索する
とかの1歩があるわけです。
髪を切りたいなー
というその自分の小さなフトした望みに対して
もうその1歩をしたことが
その願いをすでに自分で叶えてあげたことなんです。
なのに
例えば
実際に美容院で髪を切って、その後例えば気に入らない
イメージと違った髪型になってしまったとしたら
どう思いますか?
きっと
「やっぱりやめとけばよかった」
「あの美容院最悪だわ」
「なんで切りたいなんて思ったんだーーー」
逆に
望み通りの、前より素敵な髪型になったとしたら
どう思いますか?
「やっぱり、自分の感覚に従ってよかった」
「あの美容院はいい。」
「今切りたいと思って行動した私はえらい!!やっぱり
自分の感覚って大事。」
***
いつだって
「結果」に対して
自分の「フトの望み」をジャッジしてませんか?
そもそも
髪が切りたい。
その願いは
1歩それに対して動いた時点でかなってます
もう一度言います。
髪が切りたい。
その次の1歩を行動したあなたはすでに自分の望みを
自分で叶えてあげられてます。
ここを間違ってないかな???
私はね
自分がこじれる時にいつもここをなぜか
間違っちゃうの。
いつもは出来てるのに
時々、戻ることがある。
それは今までのパターンの癖だからしょうがないし
それすらOKなんだけど
ここ間違っている人は要注意。
何度も読んでみてね。