「嫌いな人嫌いなこと」
が多いひとほど
「嫌い」ということ=「悪いこと」
と強く思っています。
嫌い!!
嫌だ!!
と感じながら、それは悪いこと。
「何でこんなに嫌いばかりなの??」
と自分を責めていること。
何故「嫌い」なものがあってはいけないのか?
何故「嫌い」と感じる人がいてはいけないのか?
まずそう思う前提からフラットに
見ていかないと、本当の根底にある自分責めは
終わりません。
あるクライアントさんに
この質問をしたところ
「嫌いな食べ物や嫌いな出来事はあっても
良いと思えるけど、嫌いな人はいないほうがいい」
とやっぱり思う。
「人を嫌うことはやっぱり悪いこと」
そう答えました。
何故でしょう???
73億人いる人間すべてに何故そんなに
好かれたいのでしょう???
そこをしっかり見つめると
・自分に対する無価値観
・承認欲求
・愛されたい
・わかってほしい
・認めてほしい
・みじめな自分
だから
「嫌われたくないし嫌ってはいけない」
でも、当たり前ですが
「嫌いを見て好き」を知る原理の世界で
「嫌い」をなくすことは即ち
「好き」もなくすこと。
好き=◯
嫌い=×
これは勝手に多くの人がそうだと
思い込まされたルールです。
でも、本当は誰でも「好き」も「嫌い」もあります。
それを◯×つけている人か、つけていないか。
ただそれだけ。
つけていない人は当たり前に
「そうなんだ」と受け入れているから
結果として、気づいたら「嫌い」ってことが
そんなに無い。
というより気にならない。
ということは大いにあります。
ずっと「嫌いはダメ」と思い続けて
自分に嘘ついたり、ダメだししつづけるから
ずっと抵抗が起きてどんどん
「嫌なこと」が増えてくる。
それは、「いいか加減気づいてね」
のサインなだけだから。
受け入れる。
というのは良いとか悪いとかない
本当に純粋に
「ただそうだ」という受け入れ。