突然ですが、難題がきました。
私が開催する「お茶会」では
毎回事前に参加者の方から
話したいテーマや私に聞きたいことなど
頂いているのですが
次回の参加者からこんなメッセージが
「安心させてくれる魅力について・・・」
最初は「そうなんだ」ぐらいに思ったんですが
考えていたらこれ、最近私の中で
キーワードで
今サポートしている
ことあるごとに
「なおちゃんの安心感が半端ない」って
言ってくれるわけですよ。
でも私特に何もしてないんです。
気がきくほうでもないですし(笑)
先日の東京のパラキャリ交流会主催の
美宝れいこさんからも
「なおこさんの安心感はすごい」って。
「安心感」「安心感」・・・
極め付けは先日前職のスタッフと集まった時に
「東さんに会うと安心するわ〜定期的に
安心補給をお願いします」って。
そこには、他に退職したメンバーもいたのですね。
もはや意味不明。
一緒に働いてた時に「安心する」なんて
言われたことない気がするんですけどね。
これ考えても自分では見つけられませんよね。
逆に聞きたい。
「私の何が安心感なのかと」
・・・・と半ギレ(笑)風に
思った瞬間
私自身が今一番欲しいと思っていることが
「安心感」だと
いうことに気付いちゃいました。
・・・・・
どゆうこと?ですよね。
安心感を感じたいと思っている私が
人には完璧に安心感を与えてる
ってことは、もうすでに安心していいよって
ことだと思うので。
私は「安心」を自分に感じればいい。
ちょっと不思議な話のように思えるかも
ですが、
この短期間でやたら「安心感」がある
と言われるのは
それは「メッセージ」
幼い頃から私は家族に対していつも心配を
抱えてたんですね。
特に母に対して
・体が弱い ・嫁姑問題 ・頑張りすぎる、、、、
そして、今もなお
常に家族に対して心配をいつも抱えていたんです。
手放してるつもりでした。
でも、私のことを見て「安心」と言ってくれる
人たちから
・何か条件がなくても、何か特別なことをしなくても
私がいるだけで安心。
じゃあ家族も一緒なんですよね。
うまく説明できないですが
私の中で「安心」って前提があるものと思っていたけど
何かなくても「安心」なんです。ってことなんだな。
と妙に1人で腹落ち。
こういうところにも自分の思考癖や固定観念が
あります。
「安心」に条件や前提はいらないってことですね。
今日は1人ごとのようなブログでした。
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