あなたは、可能性しかないこの世界で、まだ原因にこだわり続けますか?
それとも、「本当の私はこうありたいんだ!!」という自覚をもとに、今ここから本当に望んでいる人生を選択しますか?
それこそが、自分の人生を自ら望んでいる通りに切り拓く人生です。
そういう人生を選択できない生き方をアドラーはこう言います。
”あなたに足りないのは、能力でもなければ才能でもない。あなたにはただ勇氣が足りていないのだ”
なので、ちょっとの勇氣を出して、本当のあなたが望んでいる選択をするのが大事。
ふと思ったこと。
自分の子どもの子育ても
他人の子どもを見守るという保育も
もし
またご縁があるのなら
可能性に寄り添いたいなぁ。
と思う。
その可能性とは
自分の理想により過ぎるでなく
相手(子ども)の理想により過ぎるでもなく
どちらもお互いの
許容範囲内にある
理想的な可能性。
言うことを聞かない子どもに
怒り続けるか
はたまた
言うことを聞き入れない子どもを
あきらめるか。
はたまた
自分の理想の半分を手放して
半分を大事にするような
いちばん不自然で
いちばん自分の中で
中途半端過ぎて
ありえない形で
その物事を手放して
どうなるのか
ただただ観察するような。
時として
自分の理想から
あきらめる勇気も
あってもいいと思う。
あえて
原因にこだわることを
あきらめるという
選択をする勇気。
相手の理想と
自分の理想が
全く違っていたり
ちょっとでも違うことに
ガッカリもするけれど
それは
悪いことなんかじゃなく
可能性なんだなぁ。
と思う瞬間を見た
気がした。
子どもはいつも
無限の可能性を秘めている
ことを現実に教えてくれている。
大人という社会が
子どもは
こういうものだという
意識や無意識が
働けば働くほど
そんな現実を
垣間見ることになるんだろう。
大人が子どもは何もわかっていないと
それが
さもあたりまえだという無意識で
馬鹿にしていると
あとで自身が
馬鹿にされるブーメランがくるように
子どもの可能性に
対応した結果
すごい可能性が
結果起きていることがあったことに
気付き、驚き、こんな展開もあるんだと
見たことのない世界(可能性)が
目の前に現れて
ほんとにこんなことが起きるのだと
知れて嬉しかった。
意識って
やっぱ
すごい❣️
(子どもに
言い負かされるのは
あんまりいい気分じゃないけどさww)
そんな意識も
これから少しずつ
自分自身の可能性に
チャネリングしていけたらと
思ってみたりする☆
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