っていう認識をしていない人に
目の前の家族の死が
突然やって来てしまうと、パニック起こす
ふと 思ったこと
高齢者に限らず
うちの家族も いつも
今を 生きているので
ある意味
(コロナが流行し出してから余計に)
毎日 家族が 終末期
と、勝手に 感じているところが
わたしには ある。
なんなら、自分の家族には
終末期は こうしてね。と伝えてある。
(NOBUKO先生のWSをうけているから
余計 そう感じるのかもしれないが ww)
義父母とは
一年前に 今後のことを
話した結果
一緒に 暮らさない
近くに 住まない
選択をしたが
義父は 認知症。 薬を服用しながら進行中。
最期のことを どうしたいのか聞いたら
なってみないと わからない という。
わからなくなったら、こちらが困るから
わからなくなる前に 聞いていることが、
すでに 理解できていない ww
義母は 認知症こそないけれど かなりの難聴。
旦那さんいわく、障害者レベル。手帳はない。
彼女は 自分自身の現状を 認めたくない人。
補聴器は、10年位前に
旦那さんが プレゼントしてたけど、
常には してない。
電話では こちらの内容の聞き取りを
思い込みで返すので、
こちらが伝えたいことが
まともに伝わらず、
必要最低限のやり取りは メールや手紙。
それでも向こうが必要なら、こちらに構わず、
認知症の夫を見ながら、私は大変で可哀想なのを、聞いてもらいたくて、電話してくる ww
私は 聞くだけ。 ww
まぁ、話し合った結果なので
問題は ないのだが
年寄りとコミュニケーションが取れない って
こういうことなんだなぁ。と思う。
頑固というより
こちらの話を テキトーに聞く感じ ww
上辺だけの会話。
まぁ、それで話が成立していると
相手が 勘違いしたままでよい内容なら
問題はない。 ww
(大事な話は ほとんど 旦那さん対応で
おまかせ)
終末期の話は できるなら
頭が 多少柔らかい
若いうちにした方が よい
と思う。
(ちなみに 実両親とは
結婚する前には、話し合い済み)
年寄りの認知症(痴呆、ボケ)に対しての
思い込みは、
かなりひどい扱いを受けるもの、
なんなら、人間扱いしないものと
信じて疑わない。
どんなに施設の人が
丁寧に説明しても
理解できない。
義父が施設に入りたがらなかったのは
その理由だった。
私たちが生まれる前は、
それが常識だったらしい。
(認知症の検査を作った先生の本より)
だから
自分が、どこかいつもと違うと 気付いても
認知症だと 認めたくないから
認めてしまうと、家族が迷惑するし
他人から、人間扱いされなくなるのが怖いから
検査や病院にも、抵抗する。
(近くに住む義妹情報だと、最近ようやく
ケアマネージャーと話せたらしい)
今は 施設のやり方も 違うこともあるのに
公的なサービスもあるのに
箱というだけで
古い昔の常識(情報)が正しいと
信じて止まない。
終末期は怖くないと
現代の医者に 学ぶのか
死は
認知症は
恐ろしいものと 信じ続けるのか
戦争を 知る世代からすれば
それを 信じるかどうかも
個人の自由 なんだろう
助けを求めたい妻と
自分は助けられたくないし、
妻を助けようとしない夫。
年寄りに限らず
こんな夫婦は
割と いるんだろうな。
どんだけ頭の中が準備できてるかで
最期に差がつくのだ
生きかたも
死にかたも
選べる自由。
死ぬか 生きるか
ということ ではなくて
生きている間に
色んな選択肢が あって
選べて、今は自由になったよなぁ。
と思う。
そのぶん
今は
色んな 病気や 症状がわかり
診察され ケアされ その人にとって
よりよい生きかたも
本人(家族)が
選ばなきゃ ならない。
良くも 悪くも
本人次第。
本人(家族)が よければ○なのだ。
どんなことの 最後でも
どんな最期でも
そういうこと なんだろうな。
と思う。
NOBUKO先生
ありがとうございます😊