この孤独の中で生きていく。1人だけの。息子を
守るための孤独の中で。
ふと
また思いだした
今こそ
中学になり
ゲームだ、アニメだ、
たまに学業だと
家にこもる息子だが
言葉すらでない
ボディーランゲージの
動きを止めることを
知らないかのような幼児の時期は
確かに息子が怖かった
娘の時は宇宙語
何をしゃべっているのか分からず
怖かった
2人は当時から
社会から障害があるなんていう
お墨付きすら貰わなかった
検診すら一度しか行かなかった
社会からの親切な疎外感を受け取る気持ちもなかったし、受け取ったところで自分が育てなきゃならないこともわかっているし、あちこち知らない土地に行くのもしんどかった
つまり
比べられたくなかった
だから勝手に
ひとりの育児を選んでた
自分の子どもを
自分の物差しで育ててもいい
みんな違ってみんないい
そういう社会が
わたしの理想だったから
それでも
自分のルールの中で
ただ怖がりながら
子育てしてた
今は
これを笑える
生きてるから
脱線したままの育児のまま
社会的な正義も
自分のルールも
崩れてた
自分からみれば真逆
社会からは悪者
自分からはできないやつ
そういうレッテルを
自ら縄張りのように孤立して
自分の世界に
無意識にがむしゃらに作り上げた
でも本当はそんな自分すら
誰かに認めて欲しい気持ちは
あったかもしれない
どちらにせよ
それでいいと今は思う
よく自分の世界で
近くの人になるたけ媚びず
自分のやりたいことを
やり続けたと思う
自分よく頑張った
いや
今も頑張ってるね
やりたいように
育児なんてやればいい
これが教育だと、したいように
子どもをこねくり回せばいい
何したって
どう教えたって
子どもはこどもの世界がある
どんなに
こちらが怖くたって
相手は怖いことに付き進む
怖いと思えば思うほど
男の子はリスクが大好きだから
いい子と言われる子どもすら
犯罪を止められない
どんなに悪いことだと
社会が警鐘をならしても
物理的にも精神的にも
自ら進んでやりたいことに向かい
心配という親からのリスクを
どんどん栄養にして
自分を大きく成長させていく
そんなの大丈夫だよと言わんばかりに
そして
自ら痛い思いをして
やりたいことをやって
大人みたいなカラダに成長する
常にリスクを持ちながら生きる人間は
好奇心の塊は
生きてる証
誰に認められる為に生きてない
誰かに褒められる為に
いい子でいたい訳でも
誰かに好かれる為に
やりたいでもない
自分のために生きている
それができる人は
親であれ
子どもであれ
男であれ女であれ
社会からは呆れられるが
毎日子どもに絶望したり
毎日子どもと笑ったり
毎日子どものために
何かしてみたり
何もしないでみたり
お互いに
無我夢中で
分かり合えないまま
頑張るもよし
放置しながら
迷惑かけながら
生きるもよし
そんなことを
繰り返した
今日も
わたしと家族が
なんとか無事に生きていた
それだけ
あの時
必死に怖がった
先の未来にウンザリしていた
昔の未来の今には
必要だった怖さだったんだと思う
今
何があっても
大丈夫だと
根拠のないリスクを
大丈夫だと
感じるための
必要な怖さだったんだと
思う