02:46、黙祷。
祈れることが救いになるなんてね。

真っ当に生きねばと思う。

ただ連日連夜の特集ラッシュはしんどいね。
それでインタビューを受けた人が一年前と同じように嫌な思いしたり、PTSDの人にも悪影響だったり。
私が見てて辛いもん。
まだ復興してないのに風化何てしないよって思う。
し、被災地の周りは元気でいないと。
ま、今日は一年だから、仕方ないのかな。
ドラマ仕立てにする意味は分からないし、泣いてる人にインタビュー何てしないで欲しい。

色んなこと考えるきっかけになるけど、被災した人は、ただただ失った住む家が、大切な人が、返ってきて欲しくて、辛くて、でもどうしようもなくて、誰のせいにも出来ないから自分のせいにして傷付いて、時間が救うのをただただ待ってるだけじゃないんだろうか。
少しずつ少しずつ負の感情を消化していって、気持ちの収めどころを探っているのかな。

それに寄り添えるだけの優しさを私たちは持っていなきゃいけないな、とつくづく感じる。

自分の命を自分で軽視する人が多いよ。

真っ当に、全うせねば。

まぁいつも独り言何だけど(苦笑)。

学校と名のつくものが嫌い
勝手に比べるのも勝手に比べられるのも。
そして人格形成も出来ていない教師。
キラキラしたものも人もたくさんある(いる)のに、黒いものばかりが目につく。
同族嫌悪だろうと自虐。

びっくりするくらい優しい人もいるのに、何故それに気がつかないのだろう。
何故心の中をみないのだろうか
みられないのだろうか
不思議で仕方ない。

愚痴と悪口を履き違えてる人が多すぎる。
悲しくないのかな、虚しくないのかな。

反面教師と言い聞かせるけど、やっぱりそれじゃあ悲しいよ。

それに私はそんな人を嫌うし、軽蔑してしまう。
それすらも包容するのが優しさ?
何か違うような。
弱さを強さで糾弾するような人から、守ってあげるのが優しさだよなぁ。

そこに必要な強さを持ち合わせる為に、黒さも白さも学んでいるのだろう。

自己説得完了。所謂正当化。
無論持論。

こんばんは。

何ともない日には、何ともないことを書こう。

もうすぐ春休みです。が、特に予定はない。お金もない。ただ時間だけはある。

ということで、最近できていなかった読書を再開しよう。

読んでいない本が10冊ほど・・・

しかもほとんどがハードブックのため、ひきこもりには最適ですね。

3日で一冊読めたらいいな。ほんとに内容ないな。


さっきレポートを書きながら、流していた東京事変の心という曲に泣きそうになった。

まさに共感。「刺々しい冬」を、肌で感じる。


事変は大衆に受けていて、まぁロックだから聞かない人は聞かないけれど、たくさんのファンがいる。

音楽性に惹かれている人も多いとは思うけれど、歌詞が好きな人もきっと多い。

ということは、私に近い感性の人間はたくさんいるはず。

なのに、どうして、こんなにも生きにくいと感じるのだろう。

太宰治は?人間失格を読んで、救われた人がどれだけいるだろう。

それをひた隠して、やり過ごしているのだろうか。

どうやって?どうすれば?ひとつのアイデンティティーを押し殺してまで?

(もちろん必要な場はたくさんあるけど、単純な人との関わり合いの中での話)


あぁ支離滅裂。

とりあえず、私は、生きにくいと感じながらも生きることにします。


今の自分が嫌いなのは、自分を好きでいたいから。

自己愛が足りないと嘆いていたけれど、真逆だった。

最近、ほどけばほどくほど簡単な答えで、笑えてしまう。

ほんまかいなって思うけど、肩の荷が降りる。


根底に眠る自己愛と、自己顕示欲に打ち勝つには、相当な忍耐が必要だよなぁ。

打ち勝つっていうのは、色々諦めること。

もしくはほんとに満足させること。

むずかしいのかな?

でも、他人の評価でなくとも、自己満足できればそれでいい。

他人の評価でうかれるくらいなら、今の方がましだ、と思いたい。

地に足をつけて。他人の地図で進むなら、立ち止まっていたい。


あぁやっぱり支離滅裂。


そうだ、読書しよう。

御後がよろしいようで。


大学生の皆さんはテスト頑張りましょう。



ぐるぐるぐる。
頭の中もお腹の中も(苦笑)。

流されるまま傷を負って、行き着くとこまで、沈んでも仕方ないと浮かぶ舟。
その痛みを優しさで軽くして、そっちじゃないよって止めてくれる。
不用意に触れるとグラグラと不安定なその舟には、誰かが乗るか、自ら進むためのオールが必要だ。
二者択一ではない。
ただひとつ、その舟が強さを持てば一挙両得。
けれどその時に、漕ぐのはもちろん自身である。

流されていたら乗ってくれるはずだったその人を失うのか、同じ方向に進むのかは、きっとその時に分かるはず。

愛も恋もすっ飛ばした感情に、説明がつくのはその頃だろうか。
どうか、私から手を伸ばすことが出来ますように。


もしも強さの定義に、豊かさも、優しさも、鋭さも、そして弱さも、脆さも儚さも包括しているのならば、少しは救いがあるだろう。
あと少し。あと少し。

大切なものを大切に。
そのために、自分も包容してあげよう。
(言いたかったのはこれだけ。笑)
人は自身を包容するために誰かに抱擁してもらうのかしらね。
ただの駄洒落ですね。

明日も、明日は、あなたが元気でありますように。