誰が。とか、先とか、たくさんとか、どーでもいいこと | 鹿児島セラピスト目指し中えむのブログ

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プロセラピスト(カウンセラー)目指してます。鹿児島在住、自分らしく生きたいとやっと目覚めた50代。
学ぶなかでの気づき、日常のなかでのひらめき、ただの思いつき、迷い楽しみ心のままに書いてます。

こんにちは。
☆プロセラピスト(カウンセラー)目指し中♪~鹿児島在住のMです。

「それ、わたし知ってるもん。わたしの方が先に知ってたもん。」
子どもか!お母さんの愛情をどちらが多くもらえるか競う兄弟喧嘩か!
お母さんの愛情は、平等。どちらが先とか、多いとか、たまたまその時の状況によるだけだ。
つい、わたしが心の中で言ってる、考えようによってはいかにも人間らしいかわいいとこだが。いい歳して、ばか。つい、自分を優位な立場にしたがる。あー、悪い癖です。
神様の愛をどちらが先に与えられたか、どちらが多く与えられているか。
そんなわけはない。気づこうと、気づくまいと、平等に決まっている。
で、皆がそのことに気づいたほうがいいに決まっている。
どちらが先とか、どーでもいい。どちらがたくさんとか、何と比べて?何ではかって?誰がどーとか知らん、誰もがどんなでもアリ。
「お互い、気づけてよかったね~。」ただ、純粋にそういうことです。
「気づけてなくても、常に満遍なく降り注いでいる。」当然言うまでもなく、そういうことです。
はやさ、ふかさ、おもさや量、そもそもそんな概念自体がないところです。
気分よく生きるためには、そこはおさえときたいポイントですよね~。
反省しながらも、あーまたラッキーがふえて、さらにラッキーになるな~。の朝。
ありがとうございます。