☆プロセラピスト(カウンセラー)目指し中♪~鹿児島在住のMです。
昨日、みたドラマ、思いがけず疑問の答えがやってきました。
三浦春馬くんが素敵で、ヒロインの多部未華子ちゃんがかわいくて、好きだっただけなんだけど。難病にかかる青年の話。
筋肉が全て動かなくなって呼吸器をつけて、まわりに負担をかけてただ生きることが、こわいと迷う主人公。でも、自分にできることをして生きることその姿が、たとえ話せなくなっても、伝えることだと気づく。
自分を表現する必要はあるか?と、問いかけたわたしに対する、答え、スゴいタイミング。
そこにいて自分にできることをしていれば、=表現してることになる。
本音を言おうが言うまいが、どちらでもよくて、たぶん場を共有して互いの存在を感じられたら(受け入れてたら、とも言える?)、それで互いに表現してることになるんでしょう。ただし誰かの為でなく、自分のしたいことをやってるなら。
自分を表現するとは、在りたいように在ること。伝わるのは、その在りよう。ちゃんちゃん。わたしったら、すぐ難しく考えすぎるんだよねー、簡単なことです、楽しくいこう。
あ、でも楽しくないのに楽しいふりすることもないけど。
で、結局まわりをみれば自分が何を伝えてるのかがわかるシステム。それがわかれば自分の在りようもわかる。納得いかないこと多いなら、自分が納得して生きてないことになるし、楽しくないこと起こるとき、自分が楽しんで生きてない。
人は、無意識に自分に嘘ついてたりするけど、そうやってまわりを見れば、自分の在りようは隠せませんです。まわりは自分の嘘発見器。うわ、いいこと言ったわー。
きちんととか、しっかりとか、そういうことじゃない、どんなにふらふらしてたり、できないことだらけでも自分を中心に納得して生きる、一所懸命って、そういうことなんだねー。それぞれが中心からじわじわまわりに伝えあってる。
あ、世界の中心で愛を叫ぶってこのこと?ばかだから、世界の中心ってどこよ?って思ってました。「世界=自分」?
ありがとうございます。