わたしを嫌いな人 | 鹿児島セラピスト目指し中えむのブログ

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プロセラピスト(カウンセラー)目指してます。鹿児島在住、自分らしく生きたいとやっと目覚めた50代。
学ぶなかでの気づき、日常のなかでのひらめき、ただの思いつき、迷い楽しみ心のままに書いてます。

こんにちは。
我が妹は、明るくて、お世話上手でいいやつだと思う。我が息子とよく遊んでくれたし、面倒もみてくれて、感謝している。仕事も頑張ってるようだし。
が、わたしのことは嫌いらしい。それならそうと言ってくれればいいのに、快く付き合ってくれるのは彼女も楽しいからだと思っていた。
このブログを読んでるらしいが、わたしには、何も言わず、かと言って何も感想がないわけでなく、他の人には、悪口やら、愚痴やら言って笑ってるようだ。
わたしにとって、不思議がある。皆、裏で平気で人を笑えること。そして、本人の前では何でもない顔ができること。実に不思議。気持ち悪くならないのだろうか。
笑うというのは、怒るというのとは違う。怒りは、時間がたって冷静になれば収まるが、笑うというのは、相手の価値を認めてないということじゃないの?そんな風に思ってる相手に平気で関われるその心理がわからない。
わたしは、自分が嫌いな人や、自分を嫌いな人とは関わりたくない。だから、夫とは必要なこと以外は関わらない。ただ、息子の父親なので、ちょっとは気を遣うべきかとは思うけど。
世間には、そこまで嫌いな人はない。皆、根はいい人だし、頑張ってるし、嫌いになりようがない。でもご機嫌をとろうとか、気を遣ってくれる人はかえって苦手です。本音で接してくれるほうが楽。わたしを好きなら好きで。嫌いなら嫌いで。だから、きちんと不機嫌な顔で接してくれる正直な人は、たとえわたしとは合わなくても、好きです。関わりはしないけど、愛しく思えるんです。さすが、あまのじゃく。ちなみに、たとえいい人達でも他人を笑う場には関わりません。本人がいるところでなら笑えるけど。面白味ないけど、これが持ち味でしょ。
ま、というわけで、世間の不思議を語りました。でもねー、悪いといってるわけではありません。人間は弱いもんです。その不思議がうまくやれるコツかもしれないしね。
いずれにしても、人は、瞬間瞬間に変化する。過去にとらわれすぎたり、先入観で判断してもつまんない。どちらが先に変わるのか。或いは、それによってもう一方はどうかわるのか。
今夜も自分と皆様の平和を祈りながら休みます。ありがとうございます。