妊活中は本当にうまく行かない事ばかりでした
不妊治療をすれば妊娠できると思っていました
いろんなブログを読んでも、成功してる方も結構いて、AMHも実年齢より良い値で30代くらいの値でしたので、すぐにとは言わずとも、そのうち妊娠できると思っていました
だけど、卵子のグレードもさほど良くなく、初めの頃は受精して新鮮胚移植をしたり、凍結してコンディションを整えてから移植したりしていましたが結果は陰性続き
段々と受精しなかったり、しても成長が止まることも多くなり、移植までたどり着ける事も少なくなりました
着床も夢のまた夢で、不謹慎かもしれませんが、本当に、化学流産されてる方のブログさえ羨ましく思える程に、うまくいってなかったです
その間に謎の眩暈を発症して、1年近くも不妊治療を休んでしまいました
歳も歳で、うまくも行ってない治療を1年も休んでしまい本当悔しかったです
それくらい目眩も辛かったです
目眩が落ち着いて、クリニックも変えて採卵したところ、休んでいた効果か卵が沢山取れて、胚盤胞もできました
私にとって胚盤胞は夢のまた夢くらいの出来事で、ここのクリニックなら妊娠できるかもしれないと本気で思いました
ですが、最初だけで、またいつものように取れないか、取れても受精しないか、途中で成長が止まる感じになりました
お腹いっぱいになるほどのサプリを飲んで、体を冷やさないように真夏でも腹巻きして、代謝を上げるために運動して、糖質を減らし、仕事もセーブして収入も減らし、なのに治療費は膨大で、周りの友達や知り合いは自然妊娠、出産していき、本当になぜ?私がこんなに頑張ってるのに着床すらしないの?神様なんていないと思いました
その頃の私が、前向きに人生楽しもう〜人と比べても仕方ない、自分の人生を楽しく幸せにするためにどうしたらいいかを考えるようになる私になれるなんて、その時は思いもしないくらい、辛くて悲しく、暗闇の中にいるようでした
前向きにさせてくれたきっかけは、夫と義母だと思います
夫は、子供はできたら嬉しくて幸せだけど、いなくても幸せだよ、子供が欲しいから結婚したんじゃない、私と一緒にいたいから結婚したんだよと、いつもいつも言ってくれました
義母には、妊活の細い事は伝えてませんが、最後の診察の帰り道に、妊活を終了する事を伝えたところ、子供を育てるだけが人生の目的じゃないのよ、育ててみたかった気持ちはよく分かるわ、でも、体を痛めて心も痛めて治療なんて続けなくていいのよ、これからは息子と2人で人生に目標を持って、世界中でも日本中でも行きたいところへ行って、人生を大いに謳歌させて欲しいわ、と言われました
他にも色々と言葉はあったと思いますが、私が欲しかった言葉全てでした
私が言って欲しかった言葉だったと、本当に感じました
義母の本心はわかりませんが、私はその言葉に救われました
前を向いて、人生を謳歌させるんだって決意することができました
今治療がうまくいっていない方も沢山いると思います
治療が上手くいって、可愛い我が子を抱く事ができる事をお祈りします
もしも、治療を辞めることを考えている方がいるなら、それも幸せの第一歩だよって伝えたいです
今は私の言葉は偽善に聞こえるかもしれません
私もきっと暗闇にいる時に言われても耳に入らなかったかもしれません
ただ、僭越ながら、妊活卒業を決断し、子どものいない人生を選んだ、私が言えることは、子供を諦めても不幸になる事はないよって事です
新しい視野で、新しい幸せが舞い込んできます
子供を得ることができなかった事で、得られる事があるんです
これだけは本当です

