次の商談の日。
「こんにちは、高橋さん」
藤井さんはいつものように優しく微笑んだ。
それだけで、心が温かくなる。
「こんにちは。本日もよろしくお願いします」
穏やかに挨拶を交わし、商談が始まる。
仕事の話はスムーズに進み、互いに言葉を交わす時間が心地よかった。
ーーなのに、今日は少し違った。
「高橋さん、あのお店、行きました?」
「…え?」
一瞬、何のことかわからなかった。
でも、すぐに思い出す。
(あのカフェ…この前、藤井さんが教えてくれたお店)
「まだ行けてなくて…でも、気になってます」
「そうですか。もし良かったら一緒に行きませんか?」
ーー心臓が跳ねた。
今、何て言った?
「ちょうど今日、時間ありますし。もしお急ぎじゃなければ、どうかなと思って」
「……行きます」
そう答えていた。
***
カフェでは、仕事の話はほとんどしなかった。
家族の話、日常のささいなこと、好きな食べ物ーー。
「高橋さんって、甘いもの好きだったりします?」
「え、なんで分かるんですか?」
「いや、さっきからメニュー見てる視線が、デザートのところに…」
「あ…」
恥ずかしくて、思わず笑ってしまう。
「ふふ…じゃあ、頼んじゃおうかな」
「いいですね。じゃあ僕も、ついでに」
そんな風に、他愛もないやり取りが、ただただ幸せだった。
(でも…)
藤井さんは、どんな気持ちで私とここにいるんだろう。
私は、たぶん、もうーー
会える日を待ち遠しく思う。
何気ない会話が嬉しい。
隣にいるだけで、胸が高鳴る。
でも、それは私だけの気持ちだ。
(彼には、奥さんがいる)
(私にも、家庭がある)
当たり前のことが、胸を締めつける。
「…高橋さん?」
「え?」
「急に黙るから、何か考え事してるのかなって」
あまりにも優しい声で名前を呼ばれるから、余計に苦しくなる。
「…なんでもないです」
言いながら、そっと視線を上げる。
藤井さんの目が、ふと優しく細められる。
(この人、こんな風に見るんだ)
その瞬間ーー
(…もしかして、私のこと、少しは特別に思ってくれてる?)
ーー微かに色づく。
「また、一緒に来れたらいいですね」
「…ええ、ぜひ」
短く交わした言葉が、心の奥に響く。
それだけで、今日の私は、少しだけ幸せだった。

