歴代のNWA世界チャンピオンの直筆サイン。
(画像1枚目)鉄人ルー・テーズ 直筆サイン色紙2枚、WRESTLING LEGENDS直筆サインカード1枚、直筆サインポートレート1枚
(画像2枚目)野生児バディ・ロジャースWRESTLING LEGENDS直筆サインカード1枚、ディック・ハットン 直筆サイン色紙1枚、マットの魔術師 パット・オコーナー 直筆サイン色紙1枚、荒法師 ジン・キニスキー 直筆サイン色紙1枚、直筆サインポートレート1枚
(画像3枚目)ドリー・ファンク・ジュニア 直筆サイン色紙1枚、テリー・ファンク 直筆サイン色紙1枚、美獣 ハリー・レイス 直筆サイン色紙1枚、南部の麒麟児 ジャック・ブリスコ 直筆サイン色紙1枚、直筆サイン入ブロマイド1枚、アメリカン・ドリーム ダスティ・ローデス 直筆サイン色紙1枚
その他 ジャイアント馬場/トミー・リッチ/リック・フレアー/ケリー・フォン・エリック/ロニー・ガービン/リッキー・スティンボート/スティング/藤波辰巳/蝶野正洋/ザ・グレート・ムタ/バリー・ウインダム/ダン・スバーン/小川直也/ビル・ゴールドバーグ等/以下 ジュニアヘビー ダニー・ホッジ/ヒロ・マツダ/ケン・マンテル/ネルソン・ロイヤル/レス・ソン・ソントン/ジェリー・ブリスコ/タイガーマスク/ザ・コブラ等 以上 直筆サイン色紙各1枚
NWA は、アメリカ合衆国 のプロレス プロモート 連盟 。正式名称はナショナル・レスリング・アライアンス (National Wrestling Alliance 、全米レスリング同盟)。
複数のプロレス関連組織がNWAを名乗ったが、今日において一般的にNWAと呼ばれるのは、このナショナル・レスリング・アライアンス(全米レスリング同盟)である。そのため、本項では全米レスリング同盟についてを中心に記述している。
歴史
発足
1948年 7月に、アイオワ 地区のプロモーターであるピンキー・ジョージが中心となり、セントルイス のサム・マソニックやミネアポリスのトニー・ステッカーら5人のプロモーター達と共に結成された。第二次世界大戦 後、プロレスを再興させるために「世界タイトルの認定」を行い、世界王者を抱えることによって興行的に大都市のプロモーターに対抗する意図があった。あくまで連盟であるため非営利組織であったが、談合カルテル としての側面を持ち合わせており、1956年 には独占禁止法 違反により司法省 に告訴された。
黄金期
当初、ピンキー・ジョージは、アメリカ中西部 地区に限った統一世界王座の構想を持ち、NWA結成を呼びかけたが、瞬く間に加盟するプロモーターの数が増え、間もなく発足メンバーの1人であるサム・マソニックに実権を奪われた。以降、1960年代 から1970年代 にかけては、マソニックのリーダーシップにより黄金期を形成。ボブ・ガイゲル 、フリッツ・フォン・エリック 、エディ・グラハム 、ジム・バーネット 、ジム・クロケット・ジュニア などのプロモーターが繁栄テリトリーを築き、フラッグシップ・タイトルのNWA世界ヘビー級王座 はプロレス界における世界最高峰の王座とされた。しかし、1980年代 前半に入り、ケーブルテレビ の普及やオイルショック 以降のガソリンの高騰(当時多くのレスラーは現在以上に車で移動していた)、WWF との興行戦争 などにより、低迷する加盟地区が続発、NWAの力も衰退していくことになった[1] 。
衰退期
1984年 、WWF(現:WWE 、1983年 まではNWAの一員だった)が豊富な資金とケーブルテレビの活用を背景に全米に勢力を拡大し始めると、次第に興行に行き詰まる地区が続出。AWA のバーン・ガニア と組んで対抗しようとしたが、資金力と団結に劣るNWAに勝ち目はなく、衰退の一途をたどり始める。1980年代後半に入ると王者リック・フレアー を擁するノースカロライナ州 のプロモーター、ジム・クロケット・ジュニア の権限が強大化しNWA内部のバランスが崩れ、アライアンスとしてのNWAの体制は形骸化。ダラス のプロモーターで元会長のフリッツ・フォン・エリック のようにNWAからの独立に活路を求める者まで出る始末だった。しかし、ジム・クロケット・プロモーションズ もWWFとの興行戦争に敗れ経営難となり、1988年 11月の当時、テレビ放映権を持っていたテッド・ターナー に買収され、新団体、WCW が発足する。WCWでは買収後はNWA王座とWCW王座のタイトルマッチを並行して行っていたが、1993年 にWCWもNWAから脱退した。
衰退後
WCWの脱退後もNWAは団体として存在するものの、マイナータイトルの1つという位置付けにすぎず、かつての威厳はない。1994年 8月、当時加盟していたECW においてNWA世界ヘビー級王座 の王座決定戦が行なわれたが、王座を獲得したシェーン・ダグラス は「こんな王座に価値はない」とチャンピオンベルトを投げ捨てる暴挙に出た(この一件でECWは脱退している)。かつての権威を取り戻す動きを起こしても、WWEの勢力が強く、また当時とはプロレスの位置付けや見方が大きく変わっているために、苦戦している。
その中でも2002年 に設立されたTNA (Total Nonstop Action)はNWAに所属する団体の中で急速に勢力が拡大している団体であり、単一メジャーのWWEに次ぐ勢力となりつつある。元WWE出身の選手も多く在籍する。しかし、2007年 5月にNWAと業務提携を終了、NWAからタイトルを剥奪され 、TNA独自の新タイトルに切り替えることになった。
その他、ジョージア 地区のNWAアナーキー(NWA Anarchy)は、2005年 4月まで存続した団体、NWAワイルドサイド(NWA Wildside)の後を継いで、毎週全米とカナダ で週1回のテレビ番組を供給している。NWAプロ・レスリング(NWA Pro Wrestling)は、ルチャ・リブレ を取り入れたスタイルでアメリカ南西部 地区、カリフォルニア 地区、ニュージャージー 地区を中心に興行を行なっている。
2008年 には、EMLL(現:CMLL) のスターであったブルー・デモン の息子、ブルー・デモン・ジュニア がNWAメキシコ (NWA Mexico)を創立。彼はルチャドールで初めてNWA世界ヘビー級王座に就いた。
現在
2012年 、テキサス 地区のブラウンズビル のプロモーターで、NWA会員のブルース・サープ が加盟団体の保険 制度に不正があるとし、NWA理事会に提訴するが、NWAの専務理事がこれに応じなかったため、裁判となり、同年8月にサーブがNWA標章の権利を勝ち取り実権を掌握。これ以降、NWAは加盟プロモーターによる合議制から、加入希望者がNWAに対し標章使用料を支払うライセンス 制度に変更され、現在に至っている。
日本のプロレス団体との関係
日本 では、日本プロレス (以下日プロ)が1960年代 後半にNWAへ加盟したが、それ以前にも正式な加盟はしていなかったものの、力道山 の存命中から、当時の世界王者であったルー・テーズ の招聘を実現させタイトルマッチを組むなどNWA本部とは友好な関係を構築し、正式な加盟後も日プロは崩壊までメンバーであった(名義人は芳の里淳三 )。
全日本プロレス (以下全日本)に関しては、ジャイアント馬場 がアメリカ 遠征時代からNWAとの関わりが強く、全日本創立直後に芳の里がすでに加盟していたにもかかわらず臨時総会まで開いて加盟が認められている(全日本と友好関係にあったアマリロ のプロモーター、ドリー・ファンク・シニア の強力な働きかけによるとされる)。1984年 より馬場は、全日本の会長の立場で4期に渡って日本人唯一のNWA第一副会長を務めた。だが、ジム・クロケット・ジュニアの権限が強大化したことによってNWA内部のバランスが崩れ、アライアンスとしてのNWAの体制が形骸化したことや、NWAから「鶴田 、天龍 の世界ヘビー級王座への挑戦は認めない」という指示が出たことにより、全日本はNWAとの関係を見直すようになり、最終的には脱退し、団体内での闘いにシフトしていった。
新日本プロレス (以下新日本)に関しては、当時の社長であったアントニオ猪木 が加盟を申請したが、NWA側から拒否され、坂口征二 と新間寿 が新日本側の加盟名義人として申請し加盟を認められている。だが、NWAへの加盟は認められたものの、世界ヘビー級王座のタイトルマッチは全日本のみに限られ、新日本では、世界ヘビー級王座のタイトルマッチが行うことはできなかったりと、待遇には差があった。猪木はこれを逆用して「NWA王者は俺が恐くて挑戦を逃げた」と国内で宣伝し、日本のファンには受けたが他のレスラーやプロモーターからは顰蹙を買った。その背景からNWAを脱退していたWWWF(現:WWE) と提携を結び、WWWFがNWAに再加盟してWWFに改称した後もNWA反主流派同士として関係は続いた。その後、WWFと提携解消に至ると、全日本がNWAと徐々に疎遠になっていったのとは対照的に、NWAとの関係を深め、当時提携していたWCW と連携し空位になった世界ヘビー級王座の決定トーナメントを開催するなどしていたが、WCWがNWAから脱退したことで、新日本もNWAとの関係を見直し、脱退している。
女子では日本女子プロレス (以下日女)が創立して間もなく松永高司 を名義人として加盟していたが、松永は日女を離脱して全日本女子プロレス (以下全女)を旗揚げしたためそのまま全女に移るも、1970年にWWWA の権利を獲得したのもありNWAとの関係は疎遠になっていた。しかし、1970年代末期に全女はファビュラス・ムーラ とその一門をNWAチャンピオンとして招聘し、ムーラの女子王座をナンシー久美 に、女子タッグ王座を横田利美 &塙せい子にそれぞれ挑戦させている。2000年 にはNEO女子プロレス が加盟しNWA女子パシフィック王座&NEOシングル王座 を創設している。
2001年 に橋本真也 率いるプロレスリングZERO-ONE (以下ZERO-ONE)がNWAに加盟し、実質的な日本支部として活動を行い、「NWA」の冠の付いた王座を複数認定していた。2004年 にZERO-ONEが崩壊したことで関係は一時途絶えるが、後継団体のZERO1 では引き続き独自に「NWA」の冠がつくタッグ王座の管理・認定を続けた。2011年 にはZERO1がNWAに加盟(実質的には再加盟)したことで、これらZERO1が管理するNWA王座もNWA側により追認された。しかしザ・シーク(2代目)が持つNWA世界ヘビー級王座の剥奪に抗議したため同年限りでNWAから脱退し、同じNWAの略称を持つ独自の組織たる「ニュー・レスリング・アライアンス(New Wrestling Alliance)」を立ち上げた。一方、ZERO-ONE崩壊後、当時新日本取締役だったサイモン・ケリー猪木 がNWAに加盟し、再び新日本と関係を持つが、サイモンの新日本退社とIGF 旗揚げに伴い、新日本はNWAから脱退し、代わりにIGFが加盟して現在に至っている。IGFでは澤田敦士 がNWAヘリテイジ王座を獲得しており、NWA傘下当時のZERO1主催の大会「火祭り 」にNWA枠として出場した。
なお全日本と新日本の他にも、国際プロレス の社長、吉原功 も1970年に加盟申請しているが、日プロによる妨害工作で却下されている。また、大木金太郎 が韓国 のプロモーターとして加盟している。新日本脱退からZERO-ONE加盟まではI.W.A.JAPAN 、レッスル夢ファクトリー 、UFO が加盟していた。I.W.A.JAPAN創始者のビクター・キニョネス はプエルトリコ のプロモーターとして1994年から2001年まで加盟していた。
2013年 3月、NWA側から新日本へ挑戦表明の映像が公開され、同年4月開催予定の新日本両国国技館大会への参戦を直訴し、世界ヘビー級王座、世界ジュニアヘビー級王座、世界タッグ王座のタイトルマッチが行われるなど、再び交流を持つようになった。だが、あくまで新日本では、同団体の王座であるIWGP を格上の王座として対応している。
2015年 、NWA世界女子王者サンタナ・ギャレット がスターダム に参戦し、同団体にて世界女子王座のタイトルマッチが行われることになった。
Wikipediaより