前回の続きで、
身近にある「海」に目を向けると、
たくさんの浮世絵となって現存する神奈川湊が視界に入ってきます。
東海道五十三次の神奈川宿、神奈川湊沿いにある宿場町です。
ここが私の自宅マンションからたいへん近くにあり、
生活の中で頻繁に通る場所です。
この沖合いが、葛飾北斎の作品として名高い「神奈川沖浪裏」です。
港があり、東海道の宿場として栄えていた神奈川宿。
調べたところによると、幕末にペリーが来航したとき、
開国の証として締結された日米和親条約で開講港として定められたのは、
江戸に近くて比較的栄えていた「神奈川湊」だそうです。
ところが宿場町として人の行き来の多いこの地で、庶民が外国人と接する危険性を避けるため、
幕府は急遽、当時は漁村に過ぎなかった「横浜村」を開港場とした、
とのことです。
私は以前よく横浜のお年寄りから、「横浜はね、昔はな~んにもない村だったの」
と聞かされたのですが、
そうだったのですね。
もしも横浜でなく神奈川湊が開港していたら、
おそらく土地の事情も今とは違っていて、
私が住んでいるマンションもなかったはずです。
開講港に指定されて、今や輝くような都会となった横浜湊と、
かつて栄えていたのに、進化に取り残され、
今は歴史のあとが点在するのみの神奈川湊。
どちらがいい、ということはありませんが、
ちょっと考え込んでしまいますね。
その神奈川湊沿いの宿場町も、マンションの建設ラッシュで、
古くからある家屋もだんだん姿を消しつつあります。



