暴飲暴食をしたせいで胃痛となり、昨日は一日中寝床で過ごしてしまった。
仕事が休みの日で幸いだった。痛みは1日で治まったがまだ本調子じゃなく、家事がほったらかしのままだ。
山積みになっている洗濯物や、テーブルの上のホコリを見ても何にもやる気が起こらない。
こんな感じなのでブログもいつもの植物・地球環境のことを書きたくても気力がない。思いつくままに日常のことを書こうと思う。
痛みをこらえつつ寝床でうつらうつらして見た夢に、4年前に亡くなった母が出てきた。
母の夢はしょっちゅう見る。そんなとき私は「夢の中で会いに来てくれている」と思っている。
夢に出てくる母は、いつも何も言わない。
自転車に乗っている後姿とか、窓から顔を出しているのとか、
台所で食事の支度をしている気配だけの夢もあった。
いつも無言なのは、なぜだろう。
電話がかかってきた夢もある。母が電話口に向かって一生懸命何か言っているイメージが浮かぶのだが、声が聞こえてこなかった。
お説教されている夢と言うのもある。しかめっつらで何か言っているのだが、これも声が聞こえてこない。
「夢の中では、この世で生きている人と話をしてはいけない」というルールでもあるんだろうか。
4年前に「あちらの世界」の住人になってしまった母とは、この世で生きている限り話ができないのなら残念なことだ。生きているうちに、もっと話をしておけばよかった。
声が聞こえてこなくても、母が夢の中で言いたいことは何となくわかる。その時々の自分自身と照らし合わせることで、夢に出てきた理由もだいたい察しが付く。
言葉に出さなくても伝わる、察するという形で理解する。それが「あちらの世界」のルールなのかもしれない。
こちらの世界にいたとき、母は形式ばった説教をよくした。そういえば私が小学生の時、こんな質問をしたことがある。
「お母さん、人は死んだらどこに行くの?」
・・・答えは即座に帰ってきた。
「何も残りません、無です! 菊乃ちゃん、霊魂だの幽霊だの、そんな本ばっかり読んでちゃいけません。死んだらすべては終わりなのよ!」
と、厳しく言われた。
・・・
今私は、あちらの世界にいるはずの母に「死んだらどうだった?」と聞いてみたくて仕方がない。
何も残らないにしては、夢の中で会いに来る回数が多すぎる。
お母さんもしかして、どこかにいるじゃないの? 死んだらすべては終わりだなんて、ウソだったんじゃないの?!
そういえば生前「ウソをついてはいけません!」とも言っていたっけ。
きっと母は、ウソをついたことが後ろめたくて何も言えないのだ。だから夢の中でいつも黙っているんだ。
今度夢の中に出てきたときは、
この世で生きている人と話をしてはいけないというルールがあるのか、
それともウソが後ろめたいから話をしないのか、
絶対に聞いてみようと思う。