前回の続きです。
昨日、女の人が綴っている炊事洗濯・家事や育児のブログがたくさんあるのを見て回ったのですが、
衣食住をとおして自分の内面を成長させている女性がたくさんいることが、改めてよくわかりました。
この食べ物は添加物まみれだとか、こういう場合は薬を飲む必要はない、この症状にはこの食材をこう調理して食べるれば治せる、
どんなに安くてもこの品は買わなくていい、コマーシャルで盛んに宣伝されているこの品は絶対買わなくていい、
というようなことを本能的な部分で知る、肌で感じるようなことに、女性は優れています。
これを食べると胃が痛くなる、これを着ると発疹が出るというような体調変化は、自分が自分に何かを教えてくれているということです。
あくまでも一般的にということで、男性にもこのような人はいると思いますが・・・
他に頼らずとも自分で自分を知る事ができるという部分に、女性は優れています。それは、自分で自分を導けるということでもあります。
そういった面に、女性が導いていく、というより手本を示すことで全体を先導していく役割を果たすことができると思います。
長いこと男性の付属として生活し、外側に向かって自分を主張したり自己表現したりする機会に恵まれずに生きてきたことから、
女性は内面に向かうことに長け、
政治経済・狩猟あるいは学問研究などに力を尽くしてきた男性と、調和した役割を持って今の時代に存在しています。
女性が長いこと行ってきた家庭のこと、育児を含む衣食住のことに関する心を込めた手仕事は、聖なる仕事であるのですが、
今まで家庭にいた主婦が外の仕事で忙しくなり、ぬか漬けが作られなくなり、買ってきたお惣菜をそのまま電子レンジで温めたり、
大量生産によってつくられた化学繊維・染料の肌着を子供に着せたり、
食器洗いや風呂掃除を化学薬品ですませたりするようになっているのが、今の世の中です。
これから世の中が変わってくれば、衣食住に関する聖なる仕事は女性だけのものではなくなり、男女に関係なくそれに適性がある人が行い、
それも仕事として一般的に認められるようになるのではないか、
という気がしています。
「ぬか漬けを作る必要がある」というような義務感によっておこなわれるのではく、
なんとなく興味が湧く、まわりにやっている人が増えて気が付いたら自分もやっている、
というように、自分が変わっていくということであると思います。
・・・
唐突ですが、ベランダに置いていたサボテンに、新芽がつきました。
2011年の夏に福島に帰省した時に、なにもなくなってしまった海沿いの道端に落ちていたのを拾ってきたのです。
たった1枚のやせこけた葉でしたが、プランターの土の上に置いただけで発根して元気を取り戻し、
翌々年には子ができてその翌年には孫ができ、
そして7年目のこの春に、ひ孫ができました。7年目というのは、何かが一巡したような感じがするのですが。
拾ってきたもとの葉も元気です。一番下の手前にある茶色がかっているのがそれです。
ひ孫を含めて7人家族になりましたが、土に根を張っているのはこの茶色い葉だけで、
すべての生命は、ここからつながっているのです。
7人家族を背負っている茶色い古い葉は、聖なる手仕事をするマザーであるとともに、一家の生計を支える父親でもあるように思えないでしょうか。
今朝、ベランダで小さい新芽を見た時に、衣食住を司る家事は聖なる仕事というのが頭に浮かんだので、
それで急いで写真を撮って、忘れないうちに書いておこうと思ったのです。
「女性と地球環境」はまだ続きます。
