昨日の続きです。
ちょっと支離滅裂的な記事になるかもしれませんが、
いつの時代もそのときどきに必要なことがインスピレーションとして、必要な人の心の中にやってきている、それを受け取った人がそれぞれ自分の持ち分を理解して発信したり行動したりして、
そうやって人間社会を含めた地球は変遷・進化していく
・・・というのは何かの文献に書いてあったのでもなければ誰かに教わったのでもなく、私の妄想・思い込みですが、当たらなかったとしても遠からずだと思います。
なぜこういうことをくどくどと書いているのかというと、一昨年あたりから私の中にしきりにやって来るインスピレーションがあるからです。
それは「芸術の価値」で、
今回書きたいのは、そのことです。
それよりもっと前にあったのは「理数系のこと」とか「分析・思考」のようなものだったと記憶しています。素粒子論というのが今あるそうですが、数字・科学・化学・分析のようなことがしきりにインスピレーションとしてやって来た一時期がありました。
光とか、色の波長のような用語をたくさん含んでいたのを覚えています。3年前でした。
...そのときは、こういう知識が必要とされているんだろうとは思いましたが、それが自分の持ち分だとは思いませんでした。
以前の記事にも書いたと思いますが、私は人生の割と早い時期から、自分の中に「理系脳」があることをわかっていました。数式を見ると、それが複雑なものであるほどワクワクする気持ちが起こります。なろうと思えば「理系人間」になることも、できたと思います。
ですが、理数系のことがインスピレーションとしてやってきていた3年前、私は反応しませんでした。面白そうだな、やってみたいなとは思いましたが、自分の持ち分としての行動に出ることがなかったのです。
なぜかというと、理系のことに興味を持つと、私の頭の中はそれ一色になってしまいます。理系と芸術系(文系を含む)は全く別物ではなく、共通する部分はあると思いますが、私は自分が両刀使いになれないということが、なんとなくわかるのです。頭の中を理系のことで埋めてしまうと、今持っている文系を含む芸術系の感覚を失ってしまうのだということを。
理系・文系・芸術系のすべてを操れる人も存在します。そのような人は天才肌と言われたりするかもしれません。科学と芸術は根底ではつながっていて共通点もたくさんありますから、そのような人も必要です。
・・・ですが私の場合はどちらか一方にした方がうまく行くという自覚があります。今の時点で自分が持っている文系・芸術系の素養の方を持って生きていくことを、無意識のうちに選んだ結果として理系のインスピレーションには反応せず、ただ傍観していたと思います。
「未来は自分が作っていくことができる。なろうと思えばなんにでもなれるものだ」と言われます。もし私が理系・芸術系の両刀使いになろうと頑張れば、自分を無理やり変えてしまうこともできるとおもいますが、
それはおそらく「魂がやりたいこと」ではないのです。
・・・話が横道に逸れたかもしれません。
要するに、ここ数年で、科学そして芸術、その関連性が重要である、というインスピレーションがやってきている、というのが今回書きたいテーマです。
3年前は「科学を発展させることの重要性」が、2年前くらいから「芸術に触れることの価値」がインスピレーションとして何度も何度もやってきます。私は自分の持ち分として、芸術の方に無意識のうちに反応していると思います。
・・・次回に続きます。