福島帰省2日目は、とてもいいお天気でした。
買い物や諸々の用事を済ませて戻ってくると、まだ14時。青い空がきれいなので、家にこもっているのがもったいなくなり、復興住宅の周辺を少し歩いてみました。
復興住宅は海のすぐ近くです。海がわに、小高い山があるので行ってみました。
ふもとに着くと、鳥居がありました。
山津見神社・・・初めて聞く名前です。
主宰神は誰なんだろう、とりあえず行ってみよう、
鳥居をくぐって入った参道は狭くて傾斜が急で、そしてとてもとても長く続いていました。ここを歩きながら山を登っているような感じです。おそらく頂上に拝殿があるのです。
歩いているうちに息も絶え絶えになりました。なんだか、1日目に行った熊野神社のときとそっくりではありませんか。
やっとのことで山頂に着くと、そこは広場のような空間になっていました。拝殿がひとつきりで、それ以外の物はありませんでした。
熊野神社は背の高い樹木に覆われてうっそうとした感じでしたが、この山津見神社は空間がもう少し広くて、青空が見えました。
日光が差し込んで、明るく開放的です。
すぐ向こう側は海です。松浦湾という3.11で甚大な被害を蒙った場所です。
草木が茂っていて見ることはできませんでした。
「手づくりの大麻糸と御幣を、もうひとつ持ってくればよかった」と思いましたが、ないものは仕方ありません。
拝殿と、松浦湾の方角に向かって手を合わせて、少し休憩してから戻ってきました。
帰ってきてから調べたところによると、この神社の主宰神は大山津見神(おおやまつみのかみ)、山の神様です。
細くて傾斜が急で長い参道を、息も絶え絶えになりながら登らなければならなかったわけがわかりました。
山そのものが、神様なのです。
古神道では神々が鎮座する山や川の自然領域を「神奈備(かんなび)」として聖域化していたそうですが、
木そのものを神とする御神木や、巨大な岩を神とする磐座(はんざ)のように、
この山が、松浦湾を見下ろして鎮座している神様なのです。
だから、質素な拝殿以外に余分なものがないのです。
・・・
私はいままで神社といえば、出雲大社、靖国神社などの、由緒ある大きなところの立派な建築物が思い浮かんだのですが、
本来の神は自然の森や山、岩、滝であり、拝殿などの建築物は人間が見て分かりやすい、目印のようなものとして、御神体から移して祀られているはないだろうか、という推測による自論が浮かびました。
現在でも社の拝殿・本殿が存在せず、自然そのものを神として祀っている古い神社が残っているそうです。
今回私が訪れた熊野神社と山津見神社は、それに近いものがあるのではないかと思います。
歴史の古い大きな神社は、書物などにも残っています。ですが地方にひっそりとあって訪れる人も少ないさびれた神社についてのことは、土地の人の言い伝えが残っていなければ何もわかりません。
そのような場合は、参ったときに自分が何を感じるかが、神社について知るヒントになると思います。
熊野神社も山津見神社もとても重要な土地に立っていて、何があっても動くことなく、人々が繰り広げるさまざまな歴史に立ち会ってきた、
神とはそういうものではないか、
と思います。



