別ブログで書いている「心地いい服を求める」が途中のままなのですが、
ゼロから服を作るところに関心が行ってしまって、実にゆっくり進んでいます。
植物から繊維を取り出す→紡いで糸にする→織って布にする→縫って服にする
ということを、地道に時間をかけて、追及している最中です。
古代日本では「カラムシ」という植物の繊維で服を作っていたことを、以前の記事で書きました。
現代日本では雑草ということになっているその植物を苦労してとってきて、繊維を取り出すところまできました。
7月現在こんな感じです。これを手で裂いて、繊維を取り出すのです。
繊維を取り出したら紡いで糸にします。この部分は素人の私には厳しいので、糸紡ぎを教えてくれるところに頼ることにしました。今月末、お教室に行く予定で楽しみにしています。
「布を織る」は、小型の織り機を入手しました。これは自力でできるかもしれませんが、
コースターを一枚作るのに、1年くらいかかってしまいそうです。
時間があるのをいいことに、信じられないくらい手間のかかるこんな作業を家事のあいまにやっている今日このごろです。
・・・
それでこのあいだの週末のことなのですが、横浜市内の歴史博物館というところに行ったとき、
併設されている古民家の庭を散策していたら、私を呼び止める葉っぱがありました。
梶の木です、楮(コウゾ)とよく似ているそうで、どちらなのかわかりません。どちらも古くから和紙の原材料となっている植物だということです。横浜のあちこちでよく見かけるこの葉を、梶の木ということにしたいと思います。
帰宅してから、これで和紙を作りたくなっている自分に気が付きました。自分の中のもう一人の自分が作りたがっている、といったほうが正しいでしょうか。
原材料から自分で作った和紙で、幣(神社で下がっている白い紙)を作りたいのです。
・・・ですがカラムシを糸にするだけでもこんなに手間がかかっているのに、とてもやりきれないので、
和紙作りは保留にしています。
カラムシも梶の木も、縄文時代から日本にあった植物だと言われています。どこにでもたくさん生えているので気にもとめていない雑草や木は、そのようなものが多いのだとだんだん気が付いてきました。
家の近所を歩いていても、周辺に生えている雑草が気になって仕方がなくなりました。古代から私たちは衣・食・住に、植物を利用してきました。人間が生活を営むのに植物はなくてはならないものです。
ヨモギやカラムシ、ドクダミ、梶の木、柿の木、どんぐりの木などが話しかけてくることにんだんと気がついて来て・・・
・・・とこんな感じですごしているうちに、「八百万の神」という考え方が、わかるようになってきました。
「植物には意識がある」と認識しているのは私だけではないと思いますが、それ以外にも、動物や昆虫はもちろん、
星や月や太陽にも意識があると思います。いつ見ても、何かしら語りかけてきていると感じられます。
10年位前にガーデニングに凝っていた時から「植物には心がある」と思っていて、自分のHPで主張して笑われたりしていましたが、そのころは、今ほどはっきりと感じられなかったのであまりあれこれ言えませんでした。
ですが自分の時間がある今、日の出とともに起き出して、朝日を浴びながらベランダの鉢植えに水やりをしたり、
カラムシを探して近所の空き地や川沿いを歩き回り、採集してきて茎を裂いたりしているうちに、それがよりはっきり感じられるようになったと思います。
まだ途中ですが、「八百万の神を実感する」ということが、自分で自分に課した課題のように思います。それには古代の日本人がやっていたのと同じことをやる必要があるのかもしれません。(私の場合は)
カラムシで服を作るところまでは行かなくても、作業の大変さを実感することで得るものがあると思います。
去年、万葉集や良寛などの和歌を延々と半年もかけて記事にしていたのは、その準備段階だったのではないかと。
それでこんなに手のかかる誰にも理解されない作業を、飽きずに延々とやっているのではないかと思うのです。

