...前回の続きです。
2012年11月に、肉眼ではっきり見える形で現れたインディアンは、その後姿を変えて、私の心の眼に映る形で現れるようになりました。
どんな姿かというのが非常に説明しづらいのですが、
丸いシンボルマークのような形で、人かある種の生物のように見えないこともありませんが、
どんな形?どんな姿?と思い出そうとしても記憶に上ってこなくて、
手描きにしてみようとボールペンを握ってコピー用紙に向かっても、描きようがありませんでした。
不可解なその姿は2013年の夏に集中して3回現れ、その頃の私に必要としていたことを伝えてきました。要点だけの簡潔な日本語で、それ以外のことは一切言ってきません。なんと素っ気無いんだろうとつまらない思いがしていました。
どんなやり取りがあったかということをここで書いてもたいして意味がありません。ここでは、その未知の存在が自分の姿として使っているシンボルマークのほうに着目したいのです。
心の眼では感じられるのに、じゃあどんな形?と考えると頭をひねってしまう、
そのシンボルマークじたいも重要ポイントで、前の記事で載せたインディアン・メッセージを解くヒントのひとつになる気がするのです。
どこかの超常現象に詳しい心理学者さんか誰かが言っていたと記憶していますが・・・
人は自分の記憶に蓄積されていないものが目の前にあっても認識することができないのだそうです。要するに何もないと思い込むわけです。
それを読んだとき私の中で、認識はできるけど描くことのできないシンボルマークと何かが繋がったような気がしました。
人が現実として見ているものや感じているものは意外とあいまいでもろくて、そして全ての人が同じものを見ているとは限らないのかもしれない・・・
そのころまだ実感がわかなかった「現実は自分が作っている」というのは、もしかしたら本当のことじゃないだろうか・・・と思えてきたのです。
「思い込みが現実を作っている」と言い変えることもできると思いますが、
空に浮かぶ雲を見たとき、ある人は「龍が空にいる」と言うし、ある人は「長くて細い雲だ」と言います。
夕刻、日没前の微妙な赤色がかった空の色は、全ての人が自分と同じ色を認識しているのでしょうか?
・・・そんな疑問を私の中に残した謎のシンボルマークが頻出したのは2013年のみで、今では夢か明晰夢の中以外には出てこなくなりました。
夢のとびきり深い階層に出てきて日本語ももう使わず、現れただけで伝わってくるものがあるようになっています。
年に数回、どうしても必要なときのみの出現となっていて、回数が目に見えて少なくなってきています。
あまり出てこなくなったのは、私が意識変化を進める過程にいて、必要なさまざまなことを以前よりは自分で知ることができるようになったせいだとわかるのですが、
それとともにこの存在が現れるのは、あくまでも私個人の意識進化にたいして言いたいことがあるだけなのだと思います。
それでも浄化があったときなど、何かの節目に出てきます。出てくるたびに何とか記憶の中に刻み込もうと頑張っているのですが、未だに手描きできないのが残念なところです。
前回の記事でも書きましたが、この謎のシンボルマークの存在はハイヤーセルフ以外で、私にとって外側の存在です。
外側にメッセージなどを求めているうちはまだ自分の内側に向かい切れていない、というような説をいろんなところで見かけますが、それに照らし合わせると、
私の中でこの謎のシンボルマークの出現がだんだんに減ってきているというのは、当然かもしれません。
似たようなのを探してきました。ごくおおざっぱですが、無理やりにでも言ってしまえばこんな感じです。ちなみに色はなく、白黒です。
「こんなの違う!もうすこしマシなのはないのか?」と出てくるんじゃないかと、ちょっと期待して載せています。
