ポルトガルの人々は親切でした。観光客にも心からの情を尽くしてくれ情が厚いこと。「人間みな兄弟」世界観が背景にあります。一回でも袖振り合えば最後のさいごまで面倒を見る、そういう人情にの深さです。
司馬遼太郎著書「街道をゆく南蛮のみち」では大航海時代。「植民地にポルトガルはそこに人を残し現地人と『愛』を土台に混交し植民地とした」とありました。ポルトガルは南蛮渡来の貿易品だけでなく実に様々なものを日本に伝えました。
16世紀末、豊臣秀吉はきらびやかな刺繍を施した深紅のビロードのマントやカッパなどの南蛮ファッションを好んで着用し京都ではポルトガル人が着ていた袴(カルサン)や下着(じゅばん)などが庶民の間で大流行し当時の日本人が初めて見聞きする品物にはポルトガル語がそのまま使われ徐々に日本人の暮らしになじんでいきました。
今でも日常的に使われるボタン(botão)パン(pão)タバコ(tabaco)てんぷら(tempero)こんぺいとう(confeito)などはポルトガル語が転じて日本語になったものです。
また行きたい国とは多々ございませんが?ポルトガルまだまだ見たい国です。