ニッポン建設映像祭 | だから構造家は、楽しい

ニッポン建設映像祭

第1回ニッポン建設映像祭というイベントに参加してきました。

その名の通り、建設事業を中心にまとめられた映像を上映するイベント。


一般申込みしておりましたが、某月刊誌にてイベントのレビューを書けとのお達しがあり、より熱心に(笑)参加してきました。


だから構造家は、楽しい。-大阪瓦斯ビル

会場は大阪瓦斯ビル。1930年代初頭に35ヶ月の工期をかけて作られたSRC造の建物。

築80年クラスの大阪瓦斯ビル内のホールにて大阪瓦斯ビルの建設時の映像を見るという贅沢。


東京で某小学校の解体作業が始まると騒ぎになっていますが、解体が決定してから騒いでいては遅い。

どのような技術でどのような苦労をもって建てられてきたか、というこうした映像こそが一般市民の建築愛を育むのではないか、と思わせてくれる映像たちでした。


僕の場合は根が構造技術者なものだから、技術系の話題についついメモが走る。


松杭はかつて担当した大型の解体物件から多数出てくるのを見たことがありましたが、当時は基本的に松杭。

直径30cm・長さ17mの立派な(真直ぐな)松が2345本って。

そして、地下2層はなんと人力による掘削

まぁ、色々勉強になりました(詳しくはレビューで)


船場センタービルは、高架下のビルなのではなく高架の一部。ビルの柱が高速道路高架の柱を兼ねているという衝撃の事実。(この事実は知識として知ってはいたけれど、建設途中の映像を見ると「知る」の内容が違ってきます。)


千里山団地では、山を切り崩しまくるブルドーザーの映像が延々と。ブルドーザーのみの造成映像のみで「終」の文字が出てきたのみは驚いたけれども。(ちなみに、この造成編の後に建設編が続く。)


造成編の後半のナレーションが印象的で、里山を散々切り崩し人工的な地形を造成した後に「メカニズム(←ブルドーザーをはじめとする建設重機類のこと)による自然への勝利!」と。


現代人的には「自然を破壊しておいて何と不謹慎な」という感想もなくは無い。

が、昭和30年代初頭の映像、すなわち戦後の焼け野原から復興していかんとする日本人にとっては、生活に適さない不便な自然の里山を造成していくことに対して絶対的な正義を感じていたわけで、自然との共生を迫られる現代に生きる日本人とは根本的に価値観が違っていたのだいうことがこのセリフから理解できる。

自然破壊だ!と揶揄するのはいわゆる現代人の擦り込み的な発想に過ぎず、過去の状況を理解せずに先人たちの行為を短絡的に批判するのは慎むべきであろう。

そういうことに気づかせてくれるという意味でも、こうした映像は広く一般の人々にも公開されていくべきである。


千里山団地は公団が設立された直後の団地で、ほぼ第一号(←正確には知らない)の公団団地。映像の中で「集団住宅」と呼ばれ、今のような集合住宅あるいは団地という呼称は映像の中では登場しておらず、後の世に作られた言葉であることも知ることもできた。


万博・東京タワー・東京カテドラルの映像に関していえば、某大手ゼネコンによる記録映像ということもあり、基本的にその手柄をアピールする映像になってしまっていたのがやや残念。


東京タワーは、ほとんど鉄塔なわけで、役割の大半を鉄骨ファブや鳶職人が担っていたわけで、そういう意味では、宮地の名前の一つでも紹介してやればよいのに、という気もしなくはなかった。同じく、万博アメリカ館の膜屋根に関しては、太陽工業なわけだからさ。

ま、建築家と構造設計者との関係に近いことなのかもしれませんけれども、少し寂しさを感じますね。


この辺りのことは、字数の関係でレビューでは割愛しているので、ブログに残しておくことにする。


とにかく僕にとっては、スケッチを含むメモが、ノート6ページ分に及ぶものとなっており、かなり色々と勉強させてもらうことのできたお腹いっぱいのイベントでした。

(レビュー依頼を請けて大正解でした。)


フィルムの劣化や映像復元の話し、記録映像を調査・収集・分析研究・公開していくことの重要さは、レビューの方にも書き記したが、心あたりのある人・何らかの情報を知っているという人は、是非UCFAにご連絡を。


お後の懇親会では、吉永さんと団地トークができたり(ちなみに僕は東豊中団地内の小学校に通っていたことがあり、テラスハウスもスターハウスも共に子供の頃のよき思い出である。テラスハウスが事業効率の悪さから消滅していったという話しはややショックであった。)、磯さんのiPadプレゼンを見れたりと、そっちはそっちで映像祭同様にお腹いっぱい。


とても充実した一日でした。