どっちが上回っているかどうかじゃなくて | だから構造家は、楽しい

どっちが上回っているかどうかじゃなくて

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現実が研究を上回っているのか、それとも・・・。



現実というものは、極めて不均一で不確定性の強い集合ですから、それを科学的に簡潔に記す(=モデル化する)ことは現時点では不可能だと思います。


研究について、再現性を担保し科学的に記述を行うこと、という前提を持ち込めば、研究対象は必ず記述可能(=モデル化可能)な範囲内にとどまるため、現実(=対象として完全に科学的に記述(=モデル化)することができない)を網羅する研究というのは不可能だと思います。


その考え方に立てば、必ず、現実は研究を上回ります。

これは極めて現実的な意見だと思います。


ビジネスライクに考えれば、成果主義の求められる設計と現在進行形の研究とを結びつけるのは無謀だとも言えるでしょう。(逆の言い方をすれば、簡単に設計に持ち込めるような研究というのは浅い研究だと思います。)

ビジネス(設計を含む)に使えるのは、あくまでも、既往の研究成果、もしくは、そのビジネスのためだけの研究の成果、だけだと思います。



一方で、まっとうな研究というものは我々の到達可能な点をより遠方にしてくれます。

たとえその条件が研究の時点で限定的であったとしてもです。


今から10年以上も前に、ちょうど僕が4年生になるときに、京都大学に建築情報システム学研究室ができました。数理計画的手法や遺伝的アルゴリズムなどを用いることで、建築計画や構造計画、都市計画というものがどう変わりうるのか、何が可能になるのかが未来を見据えて研究されていました。


ちなみに僕の場合は、構造力学研究室の教授と情報システム学研究室の助教授に指導してもらい、膜構造物の釣合形状と裁断図の同時最適化、について修士論文を書きました。これについては先日のトークイベントでの自己紹介で話した通りです。


その頃や、そのもっと先の時代から培われてきた多くの成果が「アルゴリズミックデザイン」などというカタカナに化けて今頃になってようやく建築の世界でちやほやされ始めている事実を考えると、


研究は現実を遥かに上回っていた、


とも言えるでしょう。


設計であれ研究であれ、大事なのは、未来を見据えているかどうか、本質を捉えているかどうか、だと思います。

(到達可能点を見誤らないのも大事なことで、なんでもかんでも出来るようになると思うのは大間違いです。)


そういう意味で、成果主義にとらわれず、本質をつかんだ飛距離の長そうな研究は、大事にしていってもらいたいですね。