御室仁和寺
忙しくてアップしてませんでしたが、前回、京都へ行った折に、仁和寺に寄ってきました。
御室の桜は、街中の桜より半月くらい遅い特徴があり、4月20日でもなんとか、散り始めの桜に間に合いました。
桜越しに見る五重塔はなかなかの景色です。
二王門は、非常に力強い構成でした。
金堂は国宝に指定されています。
さて、平安記の物語にもたびたび登場する仁和寺は、多くの天皇が退位後に過ごす場所、つまり「御所」も併設されています。御室の地名もそこからきたのでしょう。
エクストラの拝観料を払って入るこの宸殿のゾーンには、
先ほどの二王門や五重塔とは異なり、ロイヤルで圧倒的に上質の日本美で満ちた世界がありました。
勅使門です。
そして、この門の中央がうっすらと透けているのがわかるかと思うのですが、細工がすごいのです。
部分的に欠けちゃっていますが。。。
平唐門の透かしもたいしたものです。
最高級の職人による最上のパフォーマンスとでも言えばよいのでしょうか。
別に細工や装飾がすごいから良いというわけではありません。
廊下ひとつにしても、これですから。
背筋がピンとしますね。
中へ進むと、気持ちのよい南庭が出迎えてくれます。
白書院の襖絵はその名の通り壮観です。
続いて、宸殿へ向かう廊下。
これまた一切の装飾がなくとも圧倒的な美しさで迫ってきます。
実は、この廊下を斜め後ろの建物側からみるとこんな感じです。
写真手前は書院の縁側なのですが、書院の縁側の場合と廊下の場合で、柱の頭のつなぎ方が違えてあったりもするのですね。
建物側では、鉛直と水平の線でバッサリなのですが、建物を結ぶ廊下となると、柔らかい曲線を混ぜたりしてさりげなく変化をあたえていたりもします。
宸殿の上段の間です。天皇クラスがここに座っていたわけですね。
その天井です。
何もかもが上質で、ものすごく気持ちが高揚してしまいました。
こうなると、植栽までもが、すばらしく良いものに思えます。
で、そんな興奮した状態でふと飛び込んできた景色がこれ。
宸殿や書院の屋根が折かさなる様子をみて、僕はすぐに立衛さんの森山邸を思い出しました。
高尚さを増すような難しめの言葉で語るのが不得手なので、安っぽい語り口になってしまうのが残念ではありますが、森山邸が上質の日本的な美を含んでいるのだと感じたわけです。
言い方を変えると、日本人の琴線に触れやすい空間構成をしているということでしょうか。。。
いやぁ、しかし、良かったです。
良いものを見た時特有の、ドキドキ感、高揚感、喜び、といったものがありました。
建築を見てこのドキドキ感を感じられる間は、僕は建築を自分のフィールドにし続けていくことができると思えました。
で、あらためて、自分は日本的な建築が好きだということに気づくわけです。
歴史的な「日本建築」と現代の「日本的な建築」は違うといえば違うのですが、根本にあるものは同じだと思っています。僕自身はそれを『ジャパン』と勝手に呼んでいるのですが。。。
どこがどうであれば『ジャパン』だ、などという定義みたいなものは、長い時間をかけて見つけていくべきものなのでしょうが、極めてシンプルで強いルールを背後にもちながら、密度の高いものを作り込んで行くとこういう世界にたどり着けるのではないかと、少し感じることができました。
佐々木事務所での7年を振り返れば、SANAAの二人も、そして、佐々木さんも、そうしたジャパンな人なのだと気づきます。
だから僕は好きなのだと言ってしまってよいのかもしれません。
何も建築だけではないとも思います。
イチローにとっての密度というのが、バッティングの技術であったりすると、彼もまた、極めてジャパンな人なのだと思います。
僕が今後設計者として関わる建築の中から、ジャパンを感じることができるようになれれば、それはとても嬉しいことであり、いましばらくは、それを目指してみるのもいいんじゃないかと思っちゃったりします。
そして、まだまだ見なければいけない建築が京都にはたくさんあることがわかりました。
学生時代に見たものも、もう一度、見直したほうがよいかもしれません。
京都1往復につき、1つ建築探訪することを習慣化させていきたいところです。