茶経成立への一考察 その⑨ 第8章  「茶経八之出」の地域名「浙西」、「浙東」が存在した期間から | 俳茶居

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       義仲寺や秋立つ空に塚二つ (呑亀〉

第8章  「茶経八之出」の地域名「浙西」、「浙東」が存在した期間からの推理

近所の花水木

 「茶経八之出」には、陸羽時代のお茶の産地別評価・ランク付けが書かれている。茶産地を①山南、②淮南、③浙西、④剣南、⑤浙東、⑥黔中(けんちゅう)、⑦江南、⑧嶺南に分けそれぞれの地域の茶のランクを上等・次等・下等・又下(ゆうげ=下等以下)で分類している。

 唐代の行政地理を表す方鎮表は、時代により変わる。627年(貞観元年)全国に十道が定められた。道の下に府または州・郡があり、府・州・郡の下に県がある。貞観の十道は、

――関内・河南・河東・河北・山南・隴右(ろういん)・淮南・江南・剣南・嶺南   の十道である。

次に733年(開元21年)に以下の開元の十五道が定められた。

――京畿・関内・都畿・河南・河東・河北・山南東道・山南西道・隴右(ろういん)・淮南・江南東道・江南西道・黔中(きんちゅう)・剣南・嶺南   の15道である。(「茶経詳解」289頁、引用:平岡武夫等編「唐代の行政地理」)しかし「茶経八之出」には書かれているが、貞観の十道と開元の十五道の両方に記載されていない地域が存在する。浙西・浙東である(山南と江南は、十五道では東西二つに分かれ存在)。布目氏は、「新唐書」巻六八、方鎮表、江東、乾元元年(758年)の条に、

〇「置浙江西道節度兼江寧軍使を置き、昇・潤・宣・歙・饒・江・蘇・常・杭・湖十州を領し昇州(現在の江蘇省南京市)に治す。」とあり、「八之出」の「浙西」を「浙江西道」を略したと理解、また浙東に関しては、同じく「新唐書」巻六八、方鎮表、浙東、乾元元年(758年)の条に、

〇「浙江東道節度使を置き、越・睦・衢・婺・台・明・處・温八州を領し、越州(現在の浙江省紹興市一帯)に治す。」とあることから、「浙東」を「浙江東道」の略と理解した。「八之出」二つの地域名の表記から、758年(乾元元年)以降に『茶経』(少なくとも「八之出」は)が書かれたと推理出来のである。

 又、「八之出」にある地名「台州始豊県」については、その地名の始まりは634年(貞観八年)から761年(上元二年)とした(『唐会要』巻七一、州県改置下 布目氏茶経詳解)314・315頁)。そうすると、始豊県の表記が可能な761年までに『茶経』(少なくとも「八之出」は)書かれたと推理することが可能となる。  (続く)